内藤晴三郎
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内藤 晴三郎(ないとう せいざぶろう、1877年(明治10年)3月13日[1] - 没年不詳)は、日本の内務官僚。大分県別府市長。
経歴
[編集]広島県比婆郡八幡村(現在の庄原市)出身[2]。1895年(明治28年)、広島県師範学校を卒業し[1]、東城町立森小学校校長を務めた[3]。1904年(明治37年)、中等教員検定試験に合格し、豊田郡立女子技芸学校教諭・校長を務めた[4]。1918年(大正8年)、高等文官試験に合格し、広島県属、同神石郡長、島根県理事官・視学官、同学務課長、同庶務課長・会計課長、大阪府理事官・都市計画課長・地方課長[4]、北海道庁事務官・産業部長[1]、大分県総務部長を歴任した[3]。
退官後の1938年(昭和13年)に別府市長に選出された。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 『自治制実施五十周年記念 全国市長銘鑑』帝国自治協会、1938年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版(下)』人事興信所、1943年。