コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

内海勝二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
内海勝二

内海 勝二(うつみ かつじ、1887年(明治20年)1月3日[1] - 1967年(昭和42年)12月16日[1][2])は、大正から昭和期の実業家華族貴族院男爵議員従三位[2]。孫の貴子は朝香誠彦の妻。

経歴

[編集]

男爵・内海忠勝の二男[3]として東京都に生まれる。1912年(明治45年)に慶應義塾大学部政治科卒業[2][3]後に渡米した[3]1905年(明治38年)2月22日、父の死去に伴い男爵を襲爵[1][4]

1919年(大正8年)内海化学研究所を設立して所長に就任[2][3]。その他、発明協会評議員、国民工業学院評議員、慶應義塾評議員等を歴任し、東京民事地方裁判所調停委員となる[2]

1946年(昭和21年)5月11日、貴族院男爵議員に補欠選挙で当選し[5][6]公正会に所属し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c 『平成新修旧華族家系大成 上巻』251-252頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』65頁。
  3. ^ a b c d 『人事興信録 第14版 上』ウ56頁。
  4. ^ 『官報』第6492号、明治38年2月23日。
  5. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、57頁。
  6. ^ 『官報』第5815号、昭和21年6月5日。

参考文献

[編集]
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。


日本の爵位
先代
内海忠勝
男爵
内海(忠勝)家第2代
1905年 - 1947年
次代
華族制度廃止