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内池久五郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
内池久五郎
うちいけ きゅうごろう
生年月日 1895年12月22日
出生地 日本の旗 日本 福島県福島市
没年月日 (1973-05-13) 1973年5月13日(77歳没)
出身校 盛岡高等農林学校農学科卒業
(現岩手大学農学部)
前職 日本計量協会理事
所属政党 (翼賛政治会→)
日本進歩党
配偶者 内池ヨシ
親族 兄・堀切善兵衛(衆議院議長)
兄・堀切善次郎(内務大臣)

選挙区 福島県第1選挙区
当選回数 1回
在任期間 1942年4月30日 - 1945年12月18日

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内池 久五郎(うちいけ きゅうごろう、1895年明治28年)12月22日[1] - 1973年昭和48年)5月13日[2])は、大正から昭和期の実業家醸造家政治家衆議院議員。旧姓・堀切。

経歴

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福島県[2]、現在の福島市[3]で堀切良平の五男として生まれ、内池廉吉の養子となり後に分家した[4][5]。1918年(大正7年)盛岡高等農林学校農学科を卒業[2][4]

醤油味噌醸造業を営む[2][3][4]。内池商店社長、福島郵便局長、曽根田郵便局長、福島商工会議所議員、同会頭、福島市信用組合長、福島県農工銀行取締役、福島県醤油味噌統制取締役社長、北東衡機工業社長、東邦銀行取締役、日本計量協会理事などを務めた[2][3][4][5]

1942年(昭和17年)4月、第21回衆議院議員総選挙翼賛政治体制協議会の推薦を受け福島県第1区から出馬して当選した[2][3]。この間、大政翼賛会福島県支部常務委員、拓務省委員、大東亜省委員、翼政会政調大蔵委員、福島市会議員などを務めた[3][5]。戦後、日本進歩党に所属し[2]、その後公職追放となった[6]

親族

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脚注

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  1. ^ 衆議院『第八十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1942年、19頁。
  2. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』689頁。
  3. ^ a b c d e 『翼賛議員銘鑑』58頁。
  4. ^ a b c d e f 『人事興信録 第14版 上』ウ47頁。
  5. ^ a b c d 『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』福島4頁。
  6. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、一般該当者名簿692頁。公職追放の該当事項は「推薦議員」。

参考文献

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  • 『翼賛議員銘鑑』議会新聞社、1943年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』帝国秘密探偵社、1943年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。