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内山榮一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
内山栄一から転送)

内山榮一(うちやま えいいち、1911年明治44年)11月25日[1] - 2012年平成24年)4月10日[2])は、日本政治家税理士東京都台東区長(4期)、台東区議会議員(4期)、東京都議会議員(3期)を歴任した。

来歴

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埼玉県大里郡、のちの岡部町[1](現深谷市)出身。1935年法政大学経済学部卒業[1]。その後税理士事務所を開く[1]

1951年から台東区議会議員を4期務め[1]1967年、台東区選出の都議会議員の死去による補欠選挙自由民主党公認で立候補し、当選し、都議会議員を3期務めた[1]1975年4月に台東区長に当選[1]1991年4月まで4期16年務めた[2]

旧東京音楽学校奏楽堂の老朽化にともなう移築問題が起きた際、愛知県の明治村に建物を移築する計画に対して、上野公園敷地内への移築を推進し台東区内での保存を守ったことで知られる[3][4][5][6]

また、隅田川花火大会の復活や浅草サンバカーニバルの開催に携わり、「アイデア区長」と呼ばれた[7]

1977年伝法院前にあった区庁舎上野駅前に移転させた際、内山の指示でそれまであったバラックを取り壊し、各自の負担で建物を建てることで、周辺の露店を引き続き営業出来るよう計らった。
その際、店舗側から土地使用料について支払いの意思を見せたが「そんなもんはいらない」という内山と露天商の口約束で公認されたような状態になった[8]
これが伝法院通りの商店街「伝法院通り商栄会」である[注 1]

1991年に引退。その後は税理士として活動した[1]

2007年10月、台東区名誉区民に推される[2]。2012年4月10日死去、享年100。

脚注

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注釈

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  1. ^ 2022年1月17日、台東区は店舗所有者らに、建物収去や土地明け渡し、占有料相当額の支払いを求める訴えを東京地裁に提訴した[9]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h 『新訂 現代政治家人名事典』81頁。
  2. ^ a b c 台東区名誉区民”. 台東区 (2015年12月1日). 2020年5月19日閲覧。
  3. ^ 「旧東京音楽学校(東京芸術大学)奏楽堂」を語る! 米良 美一さんにインタビュー”. 建設通信新聞. 2020年5月19日閲覧。
  4. ^ 旧東京音楽学校奏楽堂を歩く”. 台東区文化探訪アーカイブス. 2020年5月19日閲覧。
  5. ^ 東京新聞出版局 編『上野奏楽堂物語』東京新聞出版局、1987年10月。ISBN 978-4808302559NCID BN01538233 
  6. ^ 出版刊行会 編『内山榮一・下町区長の十六年』東京新聞出版局、1991年6月。ISBN 978-4808304102NCID BN07794870 
  7. ^ 東京都台東区議会会議録. 平成24年第1回臨時会. Vol. 5. 25 April 2012.
  8. ^ “浅草商店街存続危機「そんなもんいらない」44年前アイデア区長ひと言発端”. 日刊スポーツ. (2021年6月8日). https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/202106080000928.html 
  9. ^ “浅草寺前の伝法院通り 32店舗に立ち退き求め区が提訴”. 産経新聞. (2022年1月17日). https://www.iza.ne.jp/article/20220117-XMA2AK6GKVJHVJTOHJVHA6FEZY/ 

参考文献

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  • 日外アソシエーツ 編『新訂 現代政治家人名事典―中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。ISBN 978-4816918926NCID BA70914343