内山康
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内山 康(うちやま やすし、1931年(昭和6年)1月13日[1] - 1992年(平成4年)8月25日[2])は、広島県広島市出身[2]の実業家。レーザーテック株式会社の創業者[2]。
経歴
[編集]1931年(昭和6年)広島県に生まれる。1948年旧制修道中学校(現:修道中学校・高等学校)を卒業。修道中学校の同級生に日本画家の平山郁夫がいた[3]。1951年広島工業専門学校(現:広島大学工学部)を卒業。その後肺結核を患い、国立広島療養所(現:国立病院機構東広島医療センター)で5年間闘病生活を送ったのち、臨時雇いで松下通信工業に就職、無線部でX線テレビの開発にかかわった[4][5]。1960年、日本自動制御株式会社を設立。1976年に大規模集積回路 (LSI) フォトマスク欠陥検査装置を、1985年に走査型カラーレーザー顕微鏡を世界に先駆けて開発・販売し、同社は急成長した[6]。1986年社名をレーザーテック株式会社に変更。1992年8月25日、61歳で逝去[7]。その後も同社は成長を続け、2013年東京証券取引所市場第一部に上場した[8]。