兼重元辰
表示
時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代 |
---|---|
生誕 | 天正3年(1575年) |
死没 | 元和3年11月2日(1617年11月29日) |
別名 | 通称:弥三郎→五郎兵衛尉 |
主君 | 毛利輝元→秀就 |
藩 | 長州藩 |
氏族 | 大江姓毛利氏庶流兼重家 |
父母 | 父:兼重元続、母:赤川元秀の娘 |
兄弟 | 元辰、元可、女(照林坊室)、女(長屋就之室)、女(羽仁彦左衛門室)、女(楢崎元景室)、女(平佐就重室) |
妻 | 和智広世の娘 |
子 | 就継、長屋就忠、女(天野就友室) |
兼重 元辰(かねしげ もととき)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将。毛利家家臣、長州藩士。家格は物頭組、890石。父は兼重元続。
生涯
[編集]天正3年(1575年)、毛利家臣の兼重元続の子として生まれる。
慶長4年(1599年)9月28日に父の元続から所領を譲与されたが、父に先立ち、元和3年(1617年)11月2日に死去した。享年43。嫡男の就継が跡を継いだ。