兼松成器
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兼松 成器 | |
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生誕 |
1882年11月22日 日本 青森県 |
死没 | 1974年3月13日(91歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1904年 - 1937年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
兼松 成器(かねまつ なりき[1]、1882年(明治15年)11月22日[2] - 1974年(昭和49年)3月13日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]1882年(明治15年)に青森県で生まれた[2]。陸軍士官学校第15期卒業[2]。1930年(昭和5年)8月に第19師団兵器部長に就任し[1]、1931年(昭和6年)8月に陸軍砲兵大佐に進級[1]。1932年(昭和7年)4月に野戦重砲兵第6連隊長に転じ[1]、1933年(昭和8年)8月に豊橋陸軍教導学校砲兵学生隊長に就任した[1]。
1936年(昭和11年)3月7日に陸軍少将進級と同時に澎湖島要塞司令官に着任し[1][2]、1937年(昭和12年)3月1日に待命[2]、3月29日に予備役に編入された[2]。
栄典
[編集]- 勲章等
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[3]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。