具志川城 (久米島町)
具志川城跡 (沖縄県) | |
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具志川城(久米島町) | |
築城主 | 不明(真達勃按司?)[1] |
築城年 | 不明(15世紀初め?)[2] |
主な城主 | 真達勃按司、真金声按司[1] |
遺構 | 石垣、門、礎石など[1][3] |
指定文化財 | 国の史跡[1][4] |
位置 | 北緯26度23分00秒 東経126度45分04秒 / 北緯26.38333度 東経126.75111度座標: 北緯26度23分00秒 東経126度45分04秒 / 北緯26.38333度 東経126.75111度[5] |
地図 |
具志川城(ぐしかわじょう)は、沖縄県久米島にかつて存在した城(グスク)。現在は具志川城跡(ぐしかわじょうせき)となっている。所在地は久米島町仲村渠432および477-1[1][4]。久米島北西の仲村渠集落の北方、東シナ海へ飛び出した丘の上にあり、三方が崖となっている[1]。1975年(昭和50年)に国の史跡に指定された[1][4]。1999年(平成11年)度から2007年(平成19年)度にかけて、史跡具志川城保存修理事業に伴い、遺構確認の発掘調査が行われた[5][6][7]。
歴史
[編集]築城年代は不明だが、14〜15世紀頃の陶磁器が出土していることから、15世紀初めには城の原型ができあがっていたと考えられる[2]。『琉球国由来記』(1713年上覧)および『久米島具志川間切旧記』(1743年編纂)には、もともと周辺集落の御嶽だった場所に、真達勃(まだふつ)按司によって築城されたと記されている[1][8][9]。その後真達勃按司の子・真金声(まかねごえ)按司の代に、同じ久米島内の伊敷索(いしきなは、ちなは)按司の次男・真二古樽(まにくだる)按司に攻め滅ぼされ、真二古樽按司が城主となった[2][10]。真金声按司は沖縄本島南部へ敗走し、そこに城を築いて同じく「具志川城」と名付けたと伝えられる(具志川城 (糸満市))[1][3]。久米島の具志川城はその後、16世紀初頭に尚真王が派遣した軍によって滅ぼされたとされている[1]。
構造
[編集]城の周囲は東西および北方が断崖で、北・西方向は東シナ海に突出し、南方向は島内へつながっている[1]。城の内部は1m以下の石積みにより、Ⅰ〜Ⅳの4つの曲輪に区分されている[1]。北端部のⅠの曲輪は城内で最も高く、望楼の役目を果たしていたと考えられる[1]。西南に続くⅡの曲輪には南に面した基壇が造られており、砂岩の礎石も確認されていることから、主殿の建物とその前庭があったと見られる[1]。さらに西南のⅢの曲輪は内陸と門でつながり、Ⅲの西北にあるⅣの曲輪には建物の礎石跡が確認されている[3]。
参考文献
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n 亀井明徳・前川要・榊原滋高・新島奈津子・関根章義・高島裕之・田中克子・中島徹也、2005、「第II章 具志川城跡の位置と環境」、『具志川城跡発掘調査報告書Ⅰ 〜史跡具志川城跡保存修理事業に伴う発掘調査報告書〜』、久米島町教育委員会 pp. 3-9
- ^ a b c 江川真澄・柴田圭子・髙島裕之・中島徹也・新島奈津子・村上恭通、2014、「第2章 城跡の位置と環境」、『具志川城跡発掘調査報告書Ⅲ 〜史跡具志川城跡保存修理事業に伴う発掘調査報告書〜』、久米島町教育委員会 p. 5
- ^ a b c 座間味栄議、2012、「久米島のグスク - 具志川グスク」、『三山とグスク 〜グスクの興亡と三山時代〜』、むぎ社 pp. 256-260
- ^ a b c “具志川城跡”. 久米島町役場. 2015年5月30日閲覧。
- ^ a b 亀井明徳・前川要・榊原滋高・新島奈津子・関根章義・高島裕之・田中克子・中島徹也、2005、「報告書抄録」、『具志川城跡発掘調査報告書Ⅰ 〜史跡具志川城跡保存修理事業に伴う発掘調査報告書〜』、久米島町教育委員会
- ^ 岸田徹・佐藤正巳・酒井英男・中島徹也・森田義史・盛本勲・山口欧志・米原実秀、2008、「報告書抄録」、『具志川城跡発掘調査報告書Ⅱ 〜史跡具志川城跡保存修理事業に伴う発掘調査報告書〜』、久米島町教育委員会
- ^ 江川真澄・柴田圭子・髙島裕之・中島徹也・新島奈津子・村上恭通、2014、「報告書抄録」、『具志川城跡発掘調査報告書Ⅲ 〜史跡具志川城跡保存修理事業に伴う発掘調査報告〜』、久米島町教育委員会 p. 103
- ^ むぎ社編集部(編)、当真嗣一(監修)、1996、「具志川城跡」、『沖縄のグスクめぐり』、むぎ社 pp. 235-237
- ^ 具志川村史編集委員会(編)、1976、「第三章 按司時代」、『久米島具志川村史』、具志川村役場 pp. 78-79
- ^ 具志川村史編集委員会(編)、1976、「第三章 按司時代」、『久米島具志川村史』、具志川村役場 p. 81