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兵站部財務官

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
初代兵站部財務官ジョージ・ウォートン英語版、1683年。

兵站部財務官[1](へいたんぶざいむかん、: Treasurer of the Ordnance)は、イギリス軍需局英語版の役職であり、軍需総監英語版の部下として財務を担当した。1670年に設立され、1836年に廃止された[2]

解説

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最後の兵站部財務官である第4代準男爵サー・ヘンリー・パーネル英語版ジョン・ドイル画、1832年出版。

1540年代に軍需局英語版が規模を拡大したが、財務を専門とする役職はなく、1542年から1547年まではロンドン塔管理長官が財務を担当した[3]。1547年以降は軍需局副長官軍需局測量総監英語版が共同で担当したが[3]、1670年に財務を担当とする財務官が創設された[4]

任命は国璽が押印された特許状(letters patent)の形で行われ、任期は陛下の仰せのままに、年俸は特許状で40ポンドと記載された[2]

最後の兵站部財務官である第4代準男爵サー・ヘンリー・パーネル英語版[2]は1835年4月に海軍財務長官、5月に軍事支払総監に任命された[5]。そして、1836年12月1日の特許状により軍事支払総監、海軍会計長官、兵站部財務官、チェルシー王立病院英語版支払及び会計長官が支払総監英語版に統合され、パーネルは支払総監に移行した[5]

一覧

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1681年から1699年まで、1702年から1705年まで兵站部財務官を務めたチャールズ・バーティー閣下英語版ピーター・レリー画。

出典

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  1. ^ 佐藤, 芳彦「「会計年度」と財政民主主義(V)――近代イギリス予算制度の成立過程に即して――」『Artes Liberales』第89号、岩手大学人文社会科学部、盛岡、2011年12月、24頁、doi:10.15113/00013149ISSN 0385-4183NCID AN00000256 
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa Sainty, John Christopher (May 2002). "Ordnance Treasurer 1670-1836". Institute of Historical Research (英語). 2017年9月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月2日閲覧
  3. ^ a b Davies 1965, p. 286.
  4. ^ Davies 1965, p. 287.
  5. ^ a b Barker, George Fisher Russell (1895). "Parnell, Henry Brooke" . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 43. London: Smith, Elder & Co. p. 344.

参考文献

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  • Davies, C. S. L. (April 1965). "The Administration of the Royal Navy under Henry VIII: The Origins of the Navy Board". The English Historical Review (英語). Oxford University Press. 80 (315): 268–288. JSTOR 560133