共和暦11年システム
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共和暦11年システム(仏語:Système An XI、英語:Year XI system。共和暦(フランス革命暦)11年は1803年に該当する)は、ナポレオン1世時代のフランスの砲兵システム。共和暦11年システムは非常に成功したグリボーバル・システムに各種の改良を加えたものであり、ナポレオン戦争での成功に貢献した。本質的に、既存のグリボーバル・システムを合理化したものであった[1]。この新システムの推進者はオーギュスト・ド・マルモン将軍であった[2]。
定義
[編集]フランス革命戦争において、中型野戦砲としてはグリボーバル4ポンド砲は軽量にすぎ、逆に8ポンド砲は重すぎて[3]、これら2種類の砲は敵の6ポンド砲に十分に対抗できなかった[4]。
新システムを制定するにあたって、ナポレオンは1801年12月29日に、オーギュスタン・ガブリエル・ダボヴィル(Augustin Gabriel d'Aboville)将軍を委員長とする大砲委員会を設置した。翌年1月11日から7月21日まで、委員会は研究を行い[3]、ナポレオン自身も報告書作成に参加した:
委員会は、1803年5月2日に結果報告を行った[6]。報告書の主な内容は以下のとおりであった。
- 6ポンド砲を導入し、4ポンド及び8ポンド砲を廃止する。
- 従って、野戦砲は 12ポンド砲、6ポンド砲および24ポンド(5.72インチ)榴弾砲となる。
- 山砲は、短3ポンド砲、短6ポンド砲および24ポンド榴弾砲とする。
- 攻城砲も更新し、新型の長24ポンド砲と短24ポンド砲を導入する。
- 基地砲も更新し、長24ポンド砲、長12ポンド砲及び長6ポンド砲とする。
- 新型臼砲として、324mm、216mm及び152mm、及び405mmペリエ砲を導入する[7]
その後
[編集]共和暦11年システムは、1828年にヴァレ・システムによってさらに改良された。
脚注
[編集]参考資料
[編集]- Bruce McConachy, The Roots of Artillery Doctrine: Napoleonic Artillery Tactics Reconsidered, The Journal of Military History, Vol. 65, No. 3 (Jul., 2001), pp. 617-640
- Dawson, A.L., Dawson P.L. and Summerfield S. (2007) Napoleonic Artillery, Crowood Press, ISBN 978-1-86126-923-2
- Smith, Digby (trans) (2011) "The Austrian Cavalry Gun in Comparison to the Horse Artillery of Other States by Smola in 1827," Smoothbore Ordnance Journal, Issue 1, Ken Trotman Publishing, ISBN 978-1-907417-13-9
関連項目
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