六角満綱
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時代 | 室町時代前期 - 中期 |
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生誕 | 応永8年(1401年) |
死没 | 文安2年1月23日(1445年3月1日) |
別名 | 満経、四郎右兵衛尉 |
戒名 | 龍雲寺殿貞山宗岱 |
官位 | 従四位下大膳大夫 |
幕府 | 室町幕府 近江守護 |
主君 | 足利義持→義量→義教→義勝→義政 |
氏族 | 六角氏 |
父母 | 父:六角満高、母:不詳 |
妻 | 正室:足利義満娘 |
子 | 持綱、時綱、久頼、三井高久 |
六角 満綱(ろっかく みつつな)は、室町時代前期から中期にかけての武将・守護大名。近江国守護。六角氏9代当主。官位は従四位下・大膳大夫。
生涯
[編集]応永23年(1416年)に父が亡くなり家督と近江守護職を継承した。正室が3代将軍・足利義満の娘であることから6代将軍・足利義教の信任を受け、永享6年(1434年)には比叡山延暦寺と対立し京極持高と共に延暦寺攻撃に加わり、近江国内の延暦寺領を没収していった。しかし、嘉吉元年(1441年)の嘉吉の乱で義教が赤松満祐に暗殺されると後ろ盾を失い、同時に発生した嘉吉の徳政一揆で領内は混乱、延暦寺にも一揆の首謀者と疑われ、京都屋敷を襲撃されて近江に逃亡した。
同年に近江守護を解任され、家督と守護職を嫡男・持綱に譲ったが、文安2年(1445年)、反対勢力に擁立された次男・時綱によって持綱と共に自刃した。