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六角広豊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
六角広豊
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 天和2年(1682年
死没 延享5年3月30日1748年4月27日
別名 通称:虎吉、監物、主殿
幕府 江戸幕府 高家旗本
主君 徳川綱吉家宣家継吉宗
氏族 六角家
父母 父:六角広治、母:本庄氏
兄弟 広豊、女子3人
正室:なし
女子2人
養子:広安[1]広満[2]
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六角 広豊(ろっかく ひろとよ)は、江戸時代前期から中期にかけての高家旗本高家六角家3代当主。

略歴

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天和2年(1682年)、六角広治の長男として誕生した。元禄8年(1695年)2月18日、5代将軍・徳川綱吉御目見する。表高家に列する。

元禄10年(1697年)4月23日、父・広治の蟄居隠居により家督を相続する。父の不行跡により、小普請所属となる。元禄12年(1699年)11月15日、表高家に復する。元禄15年(1702年)11月12日、徳川綱吉の意向により、ときどき江戸城三の丸に伺候する[3]宝永2年(1705年)3月23日、1000石を加増される。

寛保元年(1741年)4月5日、隠居した。始め養子にした広安が夭折したため、新たに養子に迎えた広満に家督を譲る。

延享5年(1748年)3月30日、死去。享年67。

脚注

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  1. ^ 牧野康重次男
  2. ^ 高家旗本・日野資鋪次男
  3. ^ 広豊の生母は、綱吉の母方の親族であったためであろう。
先代
六角広治
高家六角家3代当主
1697年 - 1741年
次代
六角広満