六角広豊
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時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
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生誕 | 天和2年(1682年) |
死没 | 延享5年3月30日(1748年4月27日) |
別名 | 通称:虎吉、監物、主殿 |
幕府 | 江戸幕府 高家旗本 |
主君 | 徳川綱吉→家宣→家継→吉宗 |
氏族 | 六角家 |
父母 | 父:六角広治、母:本庄氏娘 |
兄弟 | 広豊、女子3人 |
妻 | 正室:なし |
子 |
女子2人 養子:広安[1]、広満[2] |
六角 広豊(ろっかく ひろとよ)は、江戸時代前期から中期にかけての高家旗本。高家六角家3代当主。
略歴
[編集]天和2年(1682年)、六角広治の長男として誕生した。元禄8年(1695年)2月18日、5代将軍・徳川綱吉に御目見する。表高家に列する。
元禄10年(1697年)4月23日、父・広治の蟄居隠居により家督を相続する。父の不行跡により、小普請所属となる。元禄12年(1699年)11月15日、表高家に復する。元禄15年(1702年)11月12日、徳川綱吉の意向により、ときどき江戸城三の丸に伺候する[3]。宝永2年(1705年)3月23日、1000石を加増される。
寛保元年(1741年)4月5日、隠居した。始め養子にした広安が夭折したため、新たに養子に迎えた広満に家督を譲る。
脚注
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