コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

六条院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
源氏物語 > 六条院

六条院(ろくじょういん、ろくじょうのいん)は、紫式部作の『源氏物語』に登場する架空の建築物。主人公・光源氏の中年以降の邸宅。転じて准太上天皇となって以降の源氏のことも指す。モデルとして源融河原院を始め、東三条殿土御門殿など実在した邸宅が挙げられる。

概要

[編集]
宇治市源氏物語ミュージアムの六条院模型

その名の通り、平安京六条京極[要曖昧さ回避]付近に四町を占める広大な寝殿造の邸宅。西南部分に六条御息所の邸宅跡を含む。「少女」帖で落成、光源氏はここに主だった夫人たちと子女を住まわせた。

四町は各々四季を象徴し、辰巳(東南)の町が春、丑寅(東北)の町が夏、未申(西南)の町が秋、戌亥(西北)の町が冬に該当する。それぞれに寝殿や対の屋があり、敷地は町ごとに壁で仕切られているが、互いに廊で繋がり往来が可能である。

春の町は源氏と紫の上明石の姫君が住んだ。源氏と紫の上は東の対に居住(一時寝殿に住んだという説もあり)。明石の姫君が入内し、女三宮降嫁した後は、女三宮が寝殿の西側に住み、明石女御が里下がりの際に寝殿の東側を住まいとした。庭園は春の草木が無数に植えられ、高い築山と広大な池を有する。池は隣の秋の町へと続いており、女房たちが舟で往来することもあった(「胡蝶」)。六条院の中心として、男踏歌(「初音」)や六条院行幸(「藤裏葉」)など数多くの華やかな行事・儀式の舞台となっている。源氏と紫の上の没後、女三宮は三条宮に移ったが、孫の女一宮が東の対に住み、同じく二宮も寝殿を休み所とした(匂宮)。

夏の町は花散里夕霧が住み、後に玉鬘が西の対に加わる。夏向けに泉があり山里風に木々を配し、南側に池、東側に馬場殿と馬屋が設けられている。馬場では端午の節句の競べ馬などが行われた(「」)。源氏没後は花散里が二条東院に移ったため、夕霧と結婚した落葉の宮が移り住んで養女六の君を迎え、六の君と匂宮の婚儀もここで挙げられた(「宿木」)。

秋の町は秋好中宮の里邸で、元あった御息所邸の庭園の築山などをそのまま生かしており、紅葉や秋草が本物の秋の野以上に見事である。春と秋には中宮主催の季の御読経が催された(「胡蝶」)ほか、明石の姫君の裳着もここで行われた(「梅枝」)。

冬の町は明石の御方が住み、寝殿がなく対の屋2つが並ぶやや質素な作り。敷地の北側は倉が並び、松林と菊の垣根を配する。明石の女御(姫君)の最初の懐妊に際して、女御は方違えで春の町からここに移り皇子(のちの今上帝東宮)を出産、また実の祖母尼君と再会した(「若菜・上」)。

六条院の再現については、玉上琢弥案(大林組協力)、太田静六案、池浩三案などがある。また風俗博物館で六条院の春の町の寝殿と東対の4分の1模型(池浩三監修)を、宇治市源氏物語ミュージアムで六条院全体の100分の1模型を公開している。

参考書籍

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]