六方学園
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創立者 | 田中正雄(初代学園長) |
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団体種類 | 社会福祉法人 |
設立 | 1931年 |
所在地 |
739-0036 日本 広島県東広島市西条町田口391-3[1] 北緯34度23分47.1秒 東経132度43分19.7秒 / 北緯34.396417度 東経132.722139度座標: 北緯34度23分47.1秒 東経132度43分19.7秒 / 北緯34.396417度 東経132.722139度 |
法人番号 | 1240005003618 |
主要人物 | 田中久喜(第2代理事長) |
活動地域 | 日本 |
活動内容 | 福祉型障害児入所施設、障害者支援施設の運営等 |
ウェブサイト | http://www.roppougakuen.com/ |
六方学園(ろっぽうがくえん、英: Social Welfare Foundation ROPPOU GAKUEN)は、広島県東広島市西条町に本部を置く社会福祉法人で、福祉型障害児入所施設「六方学園」、障害者支援施設「六方学園学園成人部」等を設置・運営する。
略史
[編集]1931年(昭和6年)9月5日、広島市三滝町に知的障害児を教育する広島教育治療学園(現:六方学園)が創立された。1939年(昭和14年)6月9日、広島市矢賀町に移転し「六方学園」と名称変更した。
1945年(昭和20年)8月6日の原爆投下により園舎が破損し、園児・職員に死傷者が出た。園舎は救護所となった。
1949年(昭和24年)1月23日、広島市高須町に移転した。
1951年(昭和26年)10月27日、広島市高須町時代に昭和天皇・香淳皇后が行幸啓をした。
1957年(昭和32年)原爆投下から12年を経て初めて広島に行った写真家土門拳は、その実態をまのあたりにし、あらためて原爆被害の深刻さに衝撃を受けた。写真集『ヒロシマ』(研光社)は、1958年(昭和33年)に刊行され、日本はもとより、広く海外でも反響を呼んだ。報道写真家としての使命感に強く駆られ、広島に通い詰めた土門は、原爆病院の患者たちをはじめ、六方学園の被爆したこどもたちの悲惨な日々、「魔の爪跡」を約7,800コマのフィルムに記録している。
1966年(昭和41年)7月1日、社会福祉法人六方学園は東広島市西条町田口に移転した。
事業所
[編集]- 法人本部(広島県東広島市)
- 福祉型障害児入所施設 六方学園
- 障害者支援施設 六方学園成人部
- 六方学園相談支援事業
- 共同生活援助事業 ボン東高須
アクセス
[編集]JR山陽本線西条駅より広島大学行きバス乗車15分ががら口下車徒歩10分。
脚注
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 『文化の華を』社会福祉法人六方学園、2011年10月、[要ページ番号]頁。
- 津曲裕次監修「田中正雄 誓いと「六方」にかけた想い」『天地を拓く―知的障害福祉を築いた人物伝―」』日本知的障害者福祉協会、2013年、[要ページ番号]頁。ISBN 9784902117356。