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六方学園

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
社会福祉法人六方学園
Social Welfare Foundation ROPPOU GAKUEN
創立者 田中正雄(初代学園長)
団体種類 社会福祉法人
設立 1931年
所在地 739-0036
日本の旗 日本 広島県東広島市西条町田口391-3[1]
北緯34度23分47.1秒 東経132度43分19.7秒 / 北緯34.396417度 東経132.722139度 / 34.396417; 132.722139座標: 北緯34度23分47.1秒 東経132度43分19.7秒 / 北緯34.396417度 東経132.722139度 / 34.396417; 132.722139
法人番号 1240005003618 ウィキデータを編集
主要人物 田中久喜(第2代理事長)
活動地域 日本の旗 日本
活動内容 福祉型障害児入所施設障害者支援施設の運営等
ウェブサイト http://www.roppougakuen.com/
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六方学園(ろっぽうがくえん、: Social Welfare Foundation ROPPOU GAKUEN)は、広島県東広島市西条町に本部を置く社会福祉法人で、福祉型障害児入所施設「六方学園」、障害者支援施設「六方学園学園成人部」等を設置・運営する。

略史

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1931年(昭和6年)9月5日広島市三滝町に知的障害児を教育する広島教育治療学園(現:六方学園)が創立された。1939年(昭和14年)6月9日、広島市矢賀町に移転し「六方学園」と名称変更した。

1945年(昭和20年)8月6日原爆投下により園舎が破損し、園児・職員に死傷者が出た。園舎は救護所となった。

1949年(昭和24年)1月23日、広島市高須町に移転した。

1951年(昭和26年)10月27日、広島市高須町時代に昭和天皇香淳皇后行幸啓をした。

1957年(昭和32年)原爆投下から12年を経て初めて広島に行った写真家土門拳は、その実態をまのあたりにし、あらためて原爆被害の深刻さに衝撃を受けた。写真集『ヒロシマ』(研光社)は、1958年(昭和33年)に刊行され、日本はもとより、広く海外でも反響を呼んだ。報道写真家としての使命感に強く駆られ、広島に通い詰めた土門は、原爆病院の患者たちをはじめ、六方学園の被爆したこどもたちの悲惨な日々、「魔の爪跡」を約7,800コマのフィルムに記録している。

1966年(昭和41年)7月1日、社会福祉法人六方学園は東広島市西条町田口に移転した。

事業所

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  • 法人本部(広島県東広島市)
  • 福祉型障害児入所施設 六方学園
  • 障害者支援施設 六方学園成人部
  • 六方学園相談支援事業
  • 共同生活援助事業 ボン東高須

アクセス

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JR山陽本線西条駅より広島大学行きバス乗車15分ががら口下車徒歩10分。

脚注

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出典

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  1. ^ 六方学園広島市.2021年7月24日閲覧。

参考文献

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  • 『文化の華を』社会福祉法人六方学園、2011年10月、[要ページ番号]頁。 
  • 津曲裕次監修「田中正雄 誓いと「六方」にかけた想い」『天地を拓く―知的障害福祉を築いた人物伝―」』日本知的障害者福祉協会、2013年、[要ページ番号]頁。ISBN 9784902117356 

外部リンク

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