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八田木枯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

八田 木枯(はった こがらし、1925年1月1日 - 2012年3月19日)は、日本俳人

本名は日刈(ひかる、生誕時は光[1])。

人物

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三重県津市に出生。実家は材木商。10代から「ホトトギス」に投句し、1941年より長谷川素逝に師事[2]。のち橋本鶏二に師事[要出典]。戦後、貸本業や実家の材木商を営みながら、1945年に句誌「ウキグサ」を主宰[2]。1947年より山口誓子の「天狼」に投句して注目されるが[2]、1957年より20年間、稼業に専念するため句作を中断する[2]。1977年より句作を再開し、うさみとしおとの二人誌「晩紅」を発行[2]。1987年「雷魚」創刊同人[2]。句作再開後は「天狼」時代と打って変わり、虚実皮膜とも言われる玄妙な句を作った[要出典]。2005年、現代俳句協会賞を受賞。2011年、句集『鏡騒(かがみざい)』により小野市詩歌文学賞受賞[要出典]。同年「晩紅」を休刊し、木枯を囲む同人誌「鏡」が寺澤一雄により創刊[要出典]

2012年、間質性肺炎により87歳で死去[3]

句集

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  • 『汗馬楽鈔』深夜叢書社、1988年9月
  • 『於母影帖』[要文献特定詳細情報]
  • 『あらくれし日月の鈔』富士見書房、1995年1月月
  • 『天袋』[要文献特定詳細情報]
  • 『夜さり』角川書店、2004年9月
  • 『鏡騒』ふらんす堂、2010年9月

脚注

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  1. ^ 八田木枯 戦中戦後私史 第2回 父の句、そして俳句少年以前
  2. ^ a b c d e f 第60回 八田木枯”. 現代俳句協会. 2022年12月12日閲覧。
  3. ^ 俳人の八田木枯氏が死去 日本経済新聞 2012/3/25

参考文献

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外部リンク

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