八束可海
表示
八束 可海(やつか かかい、明治5年3月1日[1](1872年4月8日) - 大正5年(1916年)1月13日[2])は、日本の衆議院議員(中央倶楽部)、弁護士。家紋は丸に杏葉紋。
経歴
[編集]愛媛県伊予郡北伊予村(現在の松前町)出身[3]。1893年(明治26年)、日本法律学校(現在の日本大学)を卒業し、弁護士試験に合格した[1]。翌年、静岡県浜松市に事務所を開き、1900年(明治33年)に東京市に移した[1]。その後、東京市会議員に選出された[2]。
1908年(明治41年)、第10回衆議院議員総選挙で当選を果たした。
その他、藤枝競馬倶楽部理事を務めた[3]。
大正5年1月13日没。戒名は泰雲院通義可海大居士。墓所は本所(墨田区)立川の新義真言宗・弥勒寺旧子院墓地。墓石は7回忌である1922年(大正11年)1月13日に、妻キノにより建てられた。
出典
[編集]- ^ a b c 人事興信録 1911.
- ^ a b 衆議院議員名鑑 1962.
- ^ a b 第二十八議会衆議院議員写真列伝 1912.
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第3版』人事興信所、1911年。
- 鷹居匡『第二十八議会衆議院議員写真列伝』経済時報社、1912年。
- 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。