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八木岡城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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八木岡城
栃木県
城郭構造 平城
築城主 八木岡高房
築城年 1293年 - 1298年(永仁年間)
主な城主 八木岡氏水谷氏
遺構 土塁、堀
位置 北緯36度25分1秒 東経139度59分24秒 / 北緯36.41694度 東経139.99000度 / 36.41694; 139.99000座標: 北緯36度25分1秒 東経139度59分24秒 / 北緯36.41694度 東経139.99000度 / 36.41694; 139.99000
地図
八木岡城の位置(栃木県内)
八木岡城
八木岡城
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八木岡城(やぎおかじょう)は、栃木県真岡市大字八木岡字東館にあった日本の城

概要

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真岡市の南部八木岡地区に位置する。付近を真岡鐵道真岡線が通過する。

歴史

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永仁年間(1293年 - 1298年)の間に八木岡高房によって築城される。

延元4年(1339年)2月、南朝の武将春日顕時に攻められ一度目の落城。城中の惣領以下は一人残らず殺される[1]。その後春日軍は、益子城上三川城箕輪城飛山城宇都宮城北朝軍を打ち破ったという[1][2]

天文13年(1544年)に、下野への侵攻を企む武将水谷正村を阻止すべく、当時の城主八木岡貞家が彼の軍勢を迎撃するも戦死し二度目の落城。当城は水谷勢に制圧された。

脚注

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  1. ^ a b 松平基則氏旧蔵『結城文書』所収「北畠親房御教書写」
  2. ^ 児玉幸多 監修坪井清足 監修平井聖 編修村井益男 編修村田修三 編修、峰岸純夫、菊池卓『日本城郭大系 第四巻 茨城 栃木 群馬』新人物往来社、1979年、249頁。ISBN 4404010117 

関連項目

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