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八幡神社 (恵那市岩村町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
八幡神社
所在地 岐阜県恵那市岩村町大路18番地
位置 北緯35度21分29秒 東経137度26分48.5秒 / 北緯35.35806度 東経137.446806度 / 35.35806; 137.446806 (八幡神社 (恵那市岩村町))座標: 北緯35度21分29秒 東経137度26分48.5秒 / 北緯35.35806度 東経137.446806度 / 35.35806; 137.446806 (八幡神社 (恵那市岩村町))
主祭神  主祭神:誉田別尊(応神天皇)<br>配神:加藤景廉
社格  旧郷社
例祭 10月第一 土・日曜日
主な神事 神輿渡御
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八幡神社(はちまんじんじゃ)は、岐阜県恵那市岩村町大路に鎮座する神社

なお岩村町には富田に八幡神社が2社存在し、飯羽間に1社が存在する。

祭神

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主祭神

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配神

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摂末社

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  • 秋葉神社
  • 音羽稲荷神社

歴史

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八幡神社は、元は岩村城内の八幡曲輪にあった。

岩村城を築城したとされる加藤景廉が、築城と同時に誉田別命を祭神として城内鎮守の神社としたとされる。

岩村藩神明調に承久年中鎮座とあるのは、岩村城築城したとされる加藤景廉が、承久3年(1221年)に没したので、景廉も配神として祀り座像を安置したことを指している。加藤景廉公の木像は、岩村歴史資料館に保管されている。

寛永8年(1631年)に岩村藩主の松平乗寿が壮大な社殿に建て替えた。

城中にあったため、民間人の参拝は許されなかったが、苗木藩主の苗木遠山氏旗本明知遠山氏の関係者は毎年参拝を認められていた。

元禄15年(1702年)、松平乗紀信州小諸藩から国替で岩村藩主に移った時に、小諸から薬師寺別当寺として、岩村城内に移し、八幡神社の前に拝殿に沿って巫僧と神官とが共に奉仕した。

明治元年(1868年)の神仏分離の際に薬師寺は廃寺となった。

廃藩置県により岩村城が廃城となることが決まったため、明治5年(1872年)11月に、岩村城の八幡曲輪から現在地に遷座した。

祭事

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寛永8年(1631年)に岩村藩主の松平乗寿が創始した「神輿渡御」は、岩村町の武並神社#恵那市岩村町の武並神社に配神として祀られている景廉の長男の遠山景朝が御輿に乗って八幡神社の父景廉に会いに行く、それに大勢の町民が供奉するという神輿渡御行列である。

景朝のご神体を神輿に乗せ、時代衣装を身にまとった総人員約300人が長さ300mに及ぶ行列を整えて武並神社を出発し、岩村町本通り(重要伝統的建造物群保存地区)を約1.7kmを練り歩き、神輿を景廉が配神として祀られている八幡神社へ運ぶ。

神輿は八幡神社にて、親子対面を 果たして一夜を過ごし、翌日、再び神輿は行列によって武並神社に帰る。

行列中の御神馬に使用する飾馬具は、天保年間の頃のものが使用されている。

行列の役割・内容などは嘉永5年(1852年)の「武並宮御祭礼規定」にある次第と基本的に変化していない。

文化財

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神輿渡御行列

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岐阜県の重要無形民俗文化財

棟札

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昭和43年(1968年)8月6日、◎印のみ岐阜県の重要文化財に指定された。

絵馬

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歴代城主が奉納した絵馬が岐阜県の重要文化財に指定されている。

神宝

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参考文献

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  • 『岩村町史』 一八、江戸時代の宗教 2 江戸時代神社 城山八幡宮 p285~p288 岩村町史刊行委員会編 1961年
  • 『恵那郡史』 加藤護一 編 恵那郡教育会 大正15年
  • 『女城主の里 いわむら』 城下町コース 八幡神社 p61 岩村町企画観光課 平成5年

外部リンク

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脚注

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