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八尾信夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
八尾信夫
やお のぶお
生年月日 1852年3月14日
出生地 日本の旗 日本 武蔵国江戸下谷
(現東京都台東区)
没年月日 (1929-09-17) 1929年9月17日(77歳没)
出身校 慶應義塾
前職 三重県巡査教習所長
所属政党 無所属

選挙区 三重県郡部選挙区
当選回数 1回
在任期間 1902年8月 - 1902年12月28日


在任期間 1888年12月 - 1912年5月
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八尾 信夫(やお のぶお、1852年3月14日(嘉永5年2月24日[1][2])- 1929年昭和4年)9月17日[3][4])は、明治から大正期の警察官政治家衆議院議員三重県阿山郡上野町長。

経歴

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武蔵国江戸下谷[1][2](現東京都[5]台東区)の久居藩邸で生まれる[1]。久居藩校で学び[1][2][3][5]、1870年(明治3年)10月から1876年(明治9年)4月まで慶應義塾、その他の私塾で研鑽した[1][2][3][4][5]

1876年5月[1]若松県に出仕し同県警部に任官[3]。以後、福島県警部、栃木県警部、三重県警部、警視庁警部、福島県郡山警察署長、同白河警察署長、三重県津警察署長、警視庁巡査長、三重県巡査教習所長などを歴任[1][2][3][4][5]。1888年(明治21年)12月、三重県阿山郡長に就任し、1912年(明治35年)5月まで在任した[1][3]。その他、上野町長、阿山郡全町村学校組合管理者、同郡農会長、同教育会長、同衛生会長、同興農会総理、神職管理所阿山郡支所長、日本赤十字社特別社員なども務めた[1][2][3][4][5]

1902年(明治35年)8月、第7回衆議院議員総選挙で三重県郡部から無所属で出馬して当選し[2][4][6]、衆議院議員に1期在任した[3][4][5]。1903年(明治36年)3月の第8回総選挙(三重県郡部、無所属)に立候補したが次点で落選した[6]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i 『新選代議士列伝』124頁。
  2. ^ a b c d e f g 『人事興信録 初版』705頁。
  3. ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』661頁。
  4. ^ a b c d e f 『日本政治史に残る三重県選出国会議員』59-60頁。
  5. ^ a b c d e f 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』463頁。
  6. ^ a b 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』14頁。

参考文献

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  • 『新選代議士列伝』金港堂、1902年。
  • 人事興信所編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 廣新二『日本政治史に残る三重県選出国会議員』廣新二、1985年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。