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八坂甚八

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八坂甚八

八坂 甚八(やさか じんぱち、1853年11月10日(嘉永6年10月10日[1][2])- 1929年昭和4年)3月29日[3][4][5])は、明治から昭和初期の大地主、篤農家、実業家政治家貴族院多額納税者議員衆議院議員佐賀県養父郡轟木村長。

経歴

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肥前国養父郡[注釈 1]、のちの佐賀県[5]養父郡轟村[3]三養基郡轟木村、鳥栖町[6][7]を経て現鳥栖市)で、素封家・八坂甚兵衛の長男として生まれる[2][6][8]。漢学を修める[5]。1868年(明治元年3月)家督を相続した[2]

養父郡真木村戸長、郡組合会議員、轟木村会議員、同村長、佐賀県会議員、同参事会員、鳥栖町会議員、三養基郡会議員、所得税調査委員などを務めた[3][4][5][6][7]

1897年(明治30年)佐賀県多額納税者として貴族院多額納税者議員に互選され[3][9]、同年9月29日に就任し[10]、1904年(明治37年)9月28日の任期満了まで1期在任した[4]。1908年(明治41年)5月、第10回衆議院議員総選挙で佐賀県郡部から、猶興会所属で立候補したが次点で落選[11]。1912年(明治45年)5月の第11回総選挙(佐賀県郡部、中央倶楽部)で当選したが[11]、1913年(大正2年)5月3日に辞職し[12]、衆議院議員に1期在任した[5][7]

実業界では、八坂銀行取締役頭取、佐賀農工銀行頭取、八坂運輸代表取締役、日本逓業取締役、中央軌道取締役、九州商船取締役、肥前織物同業組合組長などを務めた[2][3][5][7]

また、農業の振興にも尽力し[13]、種牡牝馬を導入して馬産を盛んにし[13]、鳥栖町耕地整理委員長に就任して耕地整理を進め稲田を拡大し[5][13]、灌漑設備の整備[6][13]、三養基信用購買生産組合長として小作人の保護を図り[5][13]、小作毎品評会を開催して品質の向上を図った[3][13]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『佐賀県大百科事典』810頁では基肄郡

出典

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  1. ^ 衆議院『第二十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1912年、42頁。
  2. ^ a b c d 『人事興信録 第4版』や13頁。
  3. ^ a b c d e f 『佐賀県大百科事典』810頁。
  4. ^ a b c 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』225頁。
  5. ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』663頁。
  6. ^ a b c d 『佐賀 幕末・明治500人』第2版、96頁。
  7. ^ a b c d 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』463頁。
  8. ^ 『人事興信録 第8版』ヤ6頁。
  9. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、9頁。
  10. ^ 『官報』第4275号、明治30年9月30日。
  11. ^ a b 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』76頁。
  12. ^ 『官報』第228号、大正2年5月6日。
  13. ^ a b c d e f 『葉隠の雫』253-254頁。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
  • 古賀説一編『葉隠の雫』天明堂印刷所、1920年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 『佐賀県大百科事典』佐賀新聞社、1983年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 – 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 福岡博編『佐賀 幕末・明治500人』第2版、佐賀新聞社、1998年。