全昌復
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全昌復 전창복 | |
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所属政党 | 朝鮮労働党 |
最高人民会議代議員 | |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2003年8月 - 2009年3月 |
最高指導者 | 金正日(1994年 - 2011年) |
在任期間 | 2010年9月 - 不明 |
人民武力部第1副部長 | |
在任期間 | 2013年5月 - 2013年11月 |
人民武力部副部長 | |
在任期間 | 2012年4月 - 不明 |
朝鮮人民軍後方総局総局長 | |
在任期間 |
2011年8月 - 2012年4月 2013年5月 - 2013年11月 |
全昌復 | |
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各種表記 | |
チョソングル: | 전창복 |
発音: | チョン・チャンボク |
全 昌復(チョン・チャンボク、朝鮮語: 전창복)は、朝鮮民主主義人民共和国の軍人、政治家。人民武力部第1副部長、朝鮮労働党中央委員会委員、朝鮮人民軍後方総局総局長などを歴任。朝鮮人民軍における軍事称号(階級)は上将。
経歴
[編集]出生地や生年月日は不明[1]。1998年に少将に昇進し[1]、2003年に最高人民会議第11期代議員に選出された[1]。2006年に中将[1]、2010年4月14日に上将に昇進した[1][2]。2010年9月28日に開催された朝鮮労働党第3回党代表者会で、朝鮮労働党中央委員会委員に選出された[1][3][4]。2011年に朝鮮人民軍後方総局総局長に就任し[1]、8月26日に軍事訪問団を率いて中国を訪問。梁光烈国防部部長、廖錫竜人民解放軍総後勤部長と会談した[1][5]。同年11月17日に、答礼訪問のため訪朝した李継耐人民解放軍総政治部主任の会談に現れず、後方総局長を解任されていたことが分かった[6]。この背景には、後方総局が担当した平壌直轄市のマンション建設事業の遅延が問題となり、解任されたという[6]。2012年4月に人民武力部副部長に就任し、金正恩第一書記に随行することが多くなる[4]。2013年5月には玄哲海の後任として、人民武力部第1副部長に就任した[4]。同年11月に解任された。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h 전창복북한지역정보넷
- ^ 北、将軍100名を昇進…キム・ジョンウン後継の公式化? デイリーNK 2010年4月15日
- ^ 北노동당 중앙위원 및 후보위원 명단 聯合ニュース 2010年9月29日
- ^ a b c 北朝鮮、国防ナンバー2も交代 軍部刷新が進行か 日本経済新聞 2013年5月17日
- ^ 中国・李継耐氏が15日訪朝 デイリーNK 2011年11月15日
- ^ a b 「平壌建設事業遅延で後方総局長が解任」 デイリーNK 2011年11月18日
参考サイト
[編集] 朝鮮民主主義人民共和国
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