コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

内田嘉吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
內田嘉吉から転送)
内田 嘉吉
うちだ かきち
生年月日 1866年11月18日
(旧暦慶応2年10月12日
出生地 日本の旗 武蔵国江戸
没年月日 (1933-01-03) 1933年1月3日(66歳没)
出身校 帝国大学法科大学法律学科卒業
前職 逓信次官
所属政党 (貴族院院内会派:同和会
称号 正三位
勲一等旭日大綬章
法学士(帝国大学・1891年)

選挙区 (種別:勅選
在任期間 1918年9月21日 - 1933年1月3日没

第9代 台湾総督
在任期間 1923年9月6日 - 1924年9月1日
テンプレートを表示

内田 嘉吉(うちだ かきち、1866年11月18日慶応2年10月12日) - 1933年昭和8年)1月3日)は、日本逓信官僚政治家位階正三位勲等勲一等

逓信省管船局長、台湾総督府民政長官逓信次官台湾総督(第9代)、貴族院議員などをつとめた。

経歴

[編集]

東京出身。内田正八の長男として生まれる。岡山中学第一高等学校を経て、1891年(明治24年)7月、帝国大学法科大学法律学科英法)を卒業。同年7月、司法官試補、翌月、逓信省試補となり逓信省に入る。逓信事務官、逓信書記官(兼務)、船舶司検所司検官兼逓信省参事官、逓信大臣秘書官官房秘書課長、人事課長(兼務)、高等海員審判所所長などを歴任。1901年(明治34年)7月、管船局長に就任。

1910年(明治43年)8月、台湾総督府民政長官となり台湾に赴任、1915年(大正4年)10月までこれをつとめた。他に1915年(大正4年)までは鉄道部長を兼務した。1917年(大正6年)3月、逓信次官に就任。1918年(大正7年)9月にこれを辞したのち、同月21日、貴族院勅選議員に勅任され[1]同和会に属して死去するまでこれをつとめた。

その間、1923年(大正12年)9月には第9代台湾総督に就任、翌年9月までこれをつとめた他、鉄道会議議員、日本無線電信株式会社社長、財団法人滝乃川学園理事などもつとめた。

栄典

[編集]
位階
勲章等

親族

[編集]

著作

[編集]

単著

[編集]
  • 『台湾総督府専売制度ニ就テ』台湾総督府専売局、1913年。全国書誌番号:22179836 
  • 『国民海外発展策 附・太平洋に於ける独領殖民地』拓殖新報社、1914年10月。 NCID BA36806891全国書誌番号:43019203 
  • 『逓信事務と安全第一』逓信協会、1917年6月。 NCID BA63216165全国書誌番号:43024423 
  • 『安全第一』丁未出版社、1917年9月。 
  • 北林惣吉 編『安全第一生活法』文豊社、1919年8月。全国書誌番号:43029354 
  • 『列国禁酒の趨勢』日本国民禁酒同盟本部〈テンペランス・トラクト 第1編〉、1921年6月。全国書誌番号:43030067 

編集

[編集]

翻訳

[編集]

関連書

[編集]

内田嘉吉文庫

[編集]

日比谷図書文化館に内田嘉吉文庫が所蔵されている[12]

目録

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 『官報』第1843号、大正7年9月23日。
  2. ^ 『官報』第2776号「叙任及辞令」1892年9月27日。
  3. ^ 『官報』第427号「叙任及辞令」1913年12月29日。
  4. ^ 『官報』第1804号「叙任及辞令」1933年1月7日。
  5. ^ 『官報』第3704号「叙任及辞令」1895年11月1日。
  6. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年3月31日。
  7. ^ 『官報』第8454号「叙任及辞令」1911年8月25日。
  8. ^ 『官報』第846号・付録「叙任及辞令」1915年5月29日。
  9. ^ 『官報』第1009号「叙任及辞令」1915年12月11日。
  10. ^ 『官報』第2640号「叙任及辞令」1921年5月21日。
  11. ^ 『官報』第2858号・付録「辞令」1922年2月14日。
  12. ^ 内田嘉吉文庫”. 特別なコレクション. 千代田区立図書館. 2021年7月4日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。

外部リンク

[編集]
公職
先代
宮尾舜治
事務取扱
日本の旗 台湾総督府民政長官
第6代:1910 - 1915
次代
下村宏