入船町飛行場
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入船町飛行場 | |||||||
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跡地には博多漁港が存在している。また、中央区役所によって説明看板が立てられている。 | |||||||
IATA: - - ICAO: - | |||||||
概要 | |||||||
国・地域 | 日本 | ||||||
所在地 | 福岡県福岡市入船町(現・福岡市中央区荒戸・港周辺) | ||||||
種類 | 民間・水上飛行場 | ||||||
開設 | 不明(1924年ごろ?) | ||||||
閉鎖 | 不明 | ||||||
座標 | 北緯33度35分39.3秒 東経130度22分53.8秒 / 北緯33.594250度 東経130.381611度座標: 北緯33度35分39.3秒 東経130度22分53.8秒 / 北緯33.594250度 東経130.381611度 | ||||||
地図 | |||||||
飛行場の位置(おおよその位置) | |||||||
滑走路 | |||||||
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位置はおおよそである。 | |||||||
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空港の一覧 |
入船町飛行場(いりふねちょうひこうじょう[1])は福岡県福岡市入船町(現・福岡市中央区荒戸・港の周辺)に存在していた民間の水上機用飛行場。入船町水上機基地との表記もみられる[注釈 1]。
概要
[編集]1924年(大正13年)9月2日、大阪の木津川飛行場を本拠地にした日本航空株式会社(現在の日本航空とは異なる別法人で、のちに日本航空輸送に統合された)が大阪 - 福岡(入船町)に就航したという記録が残されている[1]。これに先立ち、日本航空は同年4月より百道海水浴場に試験的に就航していた[1]。
1925年(大正14年)4月15日の大阪朝日新聞によれば、4月20日より逓信省が飛行郵便[注釈 2]を実施することになったと報道されている[2]。
当飛行場が運用されていた正確な期間期間は不明である。少なくとも、上述の通り1924年には就航開始の記録がある。
また、福岡市の郷土史を調査しているイラストレーターの山田孝之によれば、1927年(昭和2年)3月25日から5月23日にかけて大濠で開催されていた東亜勧業博覧会[3]の小冊子「福岡と博多」において、西公園付近に「水上飛行場」の記載があるという[4]。
運航便・機材
[編集]1925年4月の大阪毎日新聞によれば、以下の定期便が就航していた[2]。
- 大阪(木津川)→福岡(入船町)
- 毎週月・水・金。午前9時~11時の間に出発。
- 福岡(入船町)→大阪(木津川)
- 毎週火・木・土。午前9時~11時の間に出発。
いずれも飛行時間は約5時間であった。機体は日本航空の川西七型(5人乗り水上機)および横廠式ロ号(3人乗り水上機、軍からの払い下げ機)が使用されていた。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c “福岡の歴史/市史こぼれ話”. 2021年8月27日閲覧。
- ^ a b “神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 交通(04-113)”. 2021年8月27日閲覧。
- ^ “No.080 戦争とわたしたちのくらし5”. 2021年8月27日閲覧。
- ^ “【福岡市】西公園の下に飛行場があった?!”. 2021年8月27日閲覧。