入江北嶺
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入江 北嶺(いりえ ほくれい、文化7年〈1810年〉- 天保14年5月21日〈1843年6月18日〉)とは、江戸時代後期の絵師。
来歴
[編集]鈴木南嶺の門人。名は貫、通称は善吉。字は交長。江貫とも号す。箱館の生まれで越後屋という袋物商の息子だったという。幼少の頃より絵を好み、南嶺の絵を見てその絵を学びたいと思い、ついに妻子を残して文政の末年ごろ江戸に行き本意を達し、北嶺と号した。江戸では深川、のち天保6年(1835年)に越中島に住む。作は肉筆画を残す。享年34。墓所はもと西久保の俊朝寺にあったが、昭和6年(1931年)に現在の文京区白山の心光寺に移転している。法名は北嶺玄邦信士。
作品
[編集]- 「渡唐天神」 ※「辛卯秋日北嶺」の落款あり。「辛卯」は天保2年(1831年)。
- 「南嶺月並之画」 一巻 ※天保3年7月。北嶺が南嶺の絵を模写したもの。
- 「竹に雀」 水墨淡彩 ※「丁酉秋日」(天保8年秋)の落款あり
- 「予譲刺衣図」 扁額(絵馬)、金箔押地著色 浅草寺所蔵 ※「箱館 北嶺江貫謹筆」の落款、「江貫之印」の白文方印と「北嶺」の朱文方印あり。裏面には「願主入江北嶺」とある。奉納した年については記していないが、かつて額の表面に「入江北嶺筆 天保十二年(1841年)」という貼紙があったという。北嶺は情熱を注いだこの作品の世評を聞くため、三年間乞食にまじって本堂の周りで起き伏ししたと伝わる。なお文久2年(1862年)刊行の『武江扁額集』(斎藤月岑編)では、天保13年の奉納としている。
- 「竹に鶴」 水墨淡彩
- 「葛に雀」
- 「狗」
- 「日本橋の雪・嵐山の桜・住吉の紅葉」 絹本、三幅対
参考文献
[編集]- 結城素明「北嶺江貫に就て」『掃苔』第三巻第十二号 東京名墓顕彰会、1934年
- 金龍山浅草寺『浅草寺の絵馬』2011年11月、p.22
- 『浅草寺の絵馬と扁額』東京都台東区教育委員会、2015年 ※21頁