入口紀男
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入口 紀男(いりぐち のりお、1947年 - )は、日本の工学者。熊本大学名誉教授、東京工業大学大学院理工学研究科特任教授、熊本大学大学院社会文化科学研究科客員教授、放送大学客員教授を務める。専門は生命体画像工学。工学博士(東京大学)[1][2][3]。また故郷である水俣市の歴史や水俣病[注釈 1]についての著作も刊行している。
略歴
[編集]- 1947年:熊本県葦北郡水俣町(現:水俣市)に生まれる[5]
- 1965年:福岡県立小倉高等学校卒業
- 1969年:九州工業大学工学部電気工学科卒業
- 1971年:九州工業大学大学院修士課程修了
- 1971年:旭化成に入社
- 1975年:米国イリノイ大学留学
- 1977年:米国教育厚生省 NIH 客員研究員
- 1978年:旭化成に帰任
- 1988年:シーメンス日本法人磁気共鳴応用技術担当長
- 1998年:東京大学客員研究員
- 1998年:旭化成機能製品カンパニー付知的財産担当部長
- 2002年:熊本大学総合情報基盤センター教授、評議員・附属図書館長、工学博士(東京大学大学院工学系研究科)
業績
[編集]- 1986年:2.0テスラ(86MHz)臨床用MRIを開発(世界初)。それまで 1.0テスラ(43MHz)を超えると電波は人体内部には到達しない(断層画像は撮れない)ことがイギリスで理論的に証明されていた。
- 1987年:MRIで人体の炭素13分布画像、リン31分布画像を撮像(世界初)。それまで炭素13やリン31は感度が低すぎて画像化は不可能と考えられていた。
- 1995年:核磁気共鳴(NMR)の検出感度を既知定数のみの等式で表した。それまでは未知の定数を含む比例式で表されていた。
- 1995年:原子核(107種類)の物理定数表(磁気共鳴感度)を改定。いずれの原子核の検出感度もそれまで低いと考えられていた。
受賞歴
[編集]- 2000年:日本機械学会論文賞
- 2003年:Hypertension Research-Novartis 賞
著書
[編集]- 入口紀男「必要不可欠な知的財産権」、大森不二雄編『IT時代の教育プロ養成戦略』東信堂、2008年。
- 入口紀男『メチル水銀を水俣湾に流す』日本評論社、2008年。ISBN 978-4535585546
- Norio Iriguchi『Minamata Bay, 1932』日本評論社、2012年。ISBN 978-4-535-58622-2[注釈 2]
- 『メチル水銀を水俣湾に流す』の増補英訳版[6]。
- 入口紀男『聖バーソロミュー病院1865年の症候群 有機水銀中毒症の発生は日本でも1932年には予見可能であった』自由塾、2016年。ISBN 978-4990738808[注釈 2]
- 入口紀男『「水俣病」は差別用語 メチル水銀中毒を「水俣病」と表現する行為は差別行為である。』自由塾、2021年。ISBN 978-4990738822[4]
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 入口紀男 ジオシティーズ(アーカイブ)
- ^ 熊本大学大学院社会文化科学研究科教員紹介 熊本大学
- ^ 入口紀男list.pdf ジオシティーズ(アーカイブ)
- ^ a b 「水俣病」は差別用語 入口紀男 入口紀男の自由塾
- ^ 聖バーソロミュー病院1865年の症候群 入口紀男、2016年。
- ^ 書籍詳細:Minamata Bay, 1932 入口紀男著 日本評論社