児玉久蔵
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児玉 久蔵 | |
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生誕 |
1898年9月2日 日本 宮城県 |
死没 | 1962年12月3日(64歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1919年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
児玉 久蔵(こだま ひさぞう、1898年(明治31年)9月2日[1] - 1962年(昭和37年)12月3日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]。
経歴
[編集]1898年(明治31年)に宮城県で生まれた[1]。陸軍士官学校第31期、陸軍大学校第44期卒業[1]。1939年(昭和14年)8月に第8師団参謀長に就任し[2]、1940年(昭和15年)3月9日、陸軍歩兵大佐進級と同時に陸軍省兵務局兵務課長に着任[2]。1943年(昭和18年)12月に兼陸軍省兵務局馬政課長となった[2]。
1944年(昭和19年)3月1日に陸軍少将に進級し[2]、陸軍兵器行政本部附兼陸軍省兵務局兵務課長(兼陸軍省兵務局馬政課長如故)となった[3]。同年6月26日に陸軍航空総監部附となり[4]、8月30日に仙台陸軍飛行学校附を経て[1]、1945年(昭和20年)2月20日に仙台陸軍飛行学校長に就任した[1]。終戦後の8月27日に中部憲兵隊京都地区憲兵隊長に就任した[5]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[6]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 福川 2001, 305頁.
- ^ a b c d e 外山 1981, 431頁.
- ^ 「第38号 昭和19年3月1日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120903800
- ^ 「第121号 昭和19年6月27日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120912400
- ^ 「第1号 昭和20年8月31日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120963200
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」54頁。
参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。