児島高信
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児島 高信(こじま たかのぶ、1895年(明治28年)4月22日[1] - 1947年(昭和22年)8月12日[2])は、朝鮮総督府官僚。
経歴
[編集]東京府東京市(渋谷区)出身[1]。1919年(大正8年)、東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、翌年に朝鮮総督府事務官となった[3]。同参事官、殖産局商工課長、財務局理財課長、全羅南道内務部長、総督官房会計課長、鉄道局理事を歴任[3]。1936年(昭和11年)、咸鏡北道知事に就任し[3]、1940年(昭和15年)に李王職次官に転じた[1]。 1945年(昭和20年)、李王職長官事務取扱。1946年(昭和21年)1月、同職官制廃止後は宮内省御用掛を務めた。1947年(昭和22年)8月12日死去。天皇、皇后、皇太后より祭粢料を賜った[4]。墓所は多磨霊園[2]。
栄典
[編集]- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[5]
脚注
[編集]- ^ a b c 大衆人事録 1943, p. 朝鮮43.
- ^ a b “児嶋高信”. 歴史が眠る多磨霊園. 2020年10月8日閲覧。
- ^ a b c 人事興信録 1939, p. コ100.
- ^ 宮内庁『昭和天皇実録第十』東京書籍、2017年3月30日、424頁。ISBN 978-4-487-74410-7。
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 外地・満支・海外篇』帝国秘密探偵社、1943年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版(上)』人事興信所、1939年。