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児島善兵衛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
こじま ぜんべえ

児島 善兵衛
生誕 明和9年(1772年)
上州佐位郡宮子村
国籍 日本の旗 日本
職業 柔術家
流派 気楽流
影響を受けたもの 飯塚臥龍斎
影響を与えたもの 五十嵐金弥
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児島 善兵衛は日本の武術家である。気楽流12世師範。名は信将。

経歴

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児嶋氏は代々旗本跡部氏の領地である上州那波郡宮子村(現在の群馬県伊勢崎市宮子町)の庄屋、名主で、百姓身分であったが、不在領主に代わって、徴税行政管理等の領地農村の庶務雑務をおこない、代わりに、苗字帯刀を許されていた。[1]

児嶋善兵衛(金左衛門)は幼少より剣術を好み、気楽流飯塚臥龍斎に入門して鍛錬刻苦の末に妙術を得た。

関東取締出役岩鼻代官吉川栄左衛門貞寛の配下で公儀を助け、賊の内藤右金太を捕縛した。

上州佐位郡阿弥大寺村(現 群馬県伊勢崎市阿弥陀寺町 日光例幣使街道)にて賊 内藤右金太は大刀を抜て抵抗し、吉川信将は右手巨指を切り落とす大怪我を追うが、児島や五十嵐金弥の助力により、遂に右金太を捕えることができた。その褒賞として公儀白銀若干を賜る。和歌をたしなみ、辰巳庵と号し六十二歳にして没する。[1][2]


脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ a b 気楽流免状 慶應四年11月 齋藤武八郎から後藤一雄宛に記載
  2. ^ KIRAKU RYŪ NO DENSHŌ”. LOGAN JT WEYMOUTH, SHIHAN. 2022年2月22日閲覧。

参考文献

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  • 日本古武道協会編『日本古武道総覧』日本古武道協会、1997