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光雲院

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光雲院(こううんいん、1704年10月7日宝永元年9月9日) - 1725年9月13日享保10年8月7日[1])は、江戸時代中期の女性。尾張藩第6代藩主・徳川継友正室。父は近衛家熙。別名は安己君(あこぎみ)。

生涯

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父は関白近衛家熙。母は町尻兼量の娘・量子。また大奥の実力者である近衛熙子(天英院)の姪であり、姉・近衛尚子中御門天皇の女御である。1718年享保3年)、尾張藩第6代藩主・徳川継友正室となるが、継友との間に子供はできなかった[2]

1725年享保10年)、死去。享年22。法号は光雲院高巌永照大姉。墓所は東京都港区虎ノ門天徳寺。また京都府京都市西王寺[3]

脚注

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  1. ^ 『徳川諸家系譜』第2巻(続群書類従完成会、1974年)p.216
  2. ^ 尾張名古屋藩主家 尾張徳川氏系譜”. 花筐館<葵の間>. 2023年5月22日閲覧。
  3. ^ 緑川明憲「豫楽院 : 近衞家凞公年譜稿(四)」『京都大学國文學論叢』第26巻、京都大学大学院文学研究科国語学国文学研究室、2011年9月、39-56頁、CRID 1390009224839433856doi:10.14989/150451hdl:2433/150451ISSN 1345-17232024年7月9日閲覧