元明均
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元明均 원명균 | |
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生年月日 | 1934年 |
出生地 | 日本統治下朝鮮咸鏡北道 |
所属政党 | 朝鮮労働党 |
朝鮮人民軍戦車教導指導局長 | |
在任期間 | 1998年10月 - 不明 |
朝鮮人民軍総政治局副局長 | |
在任期間 | 1989年12月 - 1998年10月 |
総政治局長 |
呉振宇(1979年 - 1995年) 趙明禄(1995年 - 2010年) |
朝鮮労働党中央委員会委員候補 | |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1980年10月10日 - 不明 |
総書記 総書記 |
金日成(1966年 - 1994年) 金正日(1997年 - 2011年) |
元明均 | |
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各種表記 | |
チョソングル: | 원명균 |
発音: | ウォン・ミョンギュン |
元 明均(ウォン・ミョンギュン、朝鮮語: 원명균、1934年 - )は、朝鮮民主主義人民共和国の軍人、政治家。朝鮮人民軍戦車教導指導局長、朝鮮人民軍総政治局副局長、朝鮮労働党中央委員会委員候補などを歴任した。朝鮮人民軍における軍事称号(階級)は上将。朝鮮労働党中央委員会第一書記を務める趙甬元は義理の息子[1]。
経歴
[編集]1934年に日本統治下の咸鏡北道で生まれた[2]。ソ連に留学し[2]、1980年10月10日に開かれた朝鮮労働党第6回大会で朝鮮労働党中央委員会委員候補に選出された[2]。この時の軍職は不明である。1989年3月に朝鮮人民軍少将に昇進し[2]、同年12月に朝鮮人民軍総政治局副局長に任命された[2]。同月に総政治局代表団長として中華人民共和国を訪問した[2]。1991年に中将[2]、1992年に上将に昇進した[2]。
1994年7月8日に金日成主席が死去し国家葬儀委員会が組織されると、同委員会委員に選ばれた[2]。1995年2月25日に死去した呉振宇次帥の葬儀委員も務めた[2]。1998年10月に朝鮮人民軍戦車教導指導局長に転じたが[2]、以後の消息は不明。