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元弼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

元 弼(げん ひつ、生没年不詳)は、北魏皇族。済陰文献王。邕明[1][2]

経歴

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済陰王元鬱の子として生まれた。性格は剛直で、文学に通じ、中散大夫に任ぜられた。嫡子として済陰王の爵位を継いだが、叔父の尚書僕射元麗が于氏を寵愛して、元弼の王爵を奪い、元麗の同母兄の元偃の子の元誕に済陰王位を与えた。このため元弼は人士との通交がなくなり、病と称して私邸にひきこもった。宣武帝侍中として召し出したが、元弼は上表して固辞し、嵩山に入って穴居し、布衣のまま蔬食し、死去した。建義元年(528年)、子の元暉業が王爵の回復を訴えた。永安3年(530年)、尚書令司徒公の位を追贈され、を文献といった[1][2]

子女

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  • 元暉業
  • 元昭業(諫議大夫、給事黄門侍郎・衛将軍・右光禄大夫)[3][4]

脚注

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  1. ^ a b 魏書 1974, p. 447.
  2. ^ a b 北史 1974, p. 636.
  3. ^ 魏書 1974, p. 448.
  4. ^ 北史 1974, p. 637.

伝記資料

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  • 魏書』巻19上 列伝第7上
  • 北史』巻17 列伝第5

参考文献

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  • 『魏書』中華書局、1974年。ISBN 7-101-00313-3 
  • 『北史』中華書局、1974年。ISBN 7-101-00318-4