元嘉 (広陽王)
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元 嘉(げん か、生年不詳 - 511年)は、北魏の皇族。広陽懿烈王。
経歴
[編集]広陽簡王拓跋建の子として生まれた。若くして沈着聡明で、感情を顔色に表さず、武勇と知略を兼ね備えていた。孝文帝の初年、徐州刺史に任じられた。兄の拓跋石侯の子の広陽定王拓跋遺興が死去すると、485年(太和9年)[1]、広陽王の封を嗣いだ。孝文帝が南征の軍を起こすと、元嘉は兵を率いて均口を遮断するよう命じられたが、命令に違反して敵を逃してしまい、孝文帝の叱責を受けた。
499年(太和23年)[2]、孝文帝の遺詔により尚書左僕射とされ、咸陽王元禧らとともに輔政にあたった。司州牧に転じた。501年(景明2年)[3]、洛陽に320坊を築くよう上表して聞き入れられ、5万人を動員して工事がおこなわれた。衛大将軍・尚書令に任じられた。504年(正始元年)[3]、儀同三司の位を加えられた。
元嘉は飲酒を好み、泥酔して宣武帝の前で醜態をさらすこともあったが、皇族の年長者であったことから、宣武帝もかれに寛容であった。事あるごとに彭城王元勰・北海王元詳・高陽王元雍らと宴席に集い、歓を尽くした。507年(正始4年)[3]、司空に上った。509年(永平2年)[3]、司徒に転じた。
511年(永平4年)3月壬戌[3]、死去した。侍中・太保の位を追贈された。諡は懿烈といった。
妻子
[編集]妻
[編集]- 穆妃(宜都王穆寿の孫娘)
子
[編集]女
[編集]- 元僧賜
- 元燈明
脚注
[編集]伝記資料
[編集]- 『魏書』巻18 列伝第6
- 『北史』巻16 列伝第4