倉井敏麿
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倉井 敏麿(くらい としまろ、1895年(明治28年)6月12日[1][2][3] - 1982年(昭和57年)2月2日[1][2][4])は、大正・昭和期の実業家、政治家。新潟鐵工所社長、貴族院勅選議員。
経歴
[編集]北海道[1][2]で倉井恵洞の長男として生まれる[3]。当初、東京帝国大学文科大学に入学し哲学を専攻したが[5]、経済専攻に転じ1921年(大正10年)同大経済学部を卒業した[1][2][3][4]。
同年、日本勧業銀行に入行し、秋田支店主事、本店調査課主事、大阪支店副支配人、高知支店長、奈良支店長、本店預金課長、津支店長、調査部長、理事、近畿地方監督役などを歴任した[1][2][3][4]。
1947年(昭和22年)3月4日、貴族院勅選議員に任じられ[1][4][6][7]、同和会に属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[4]。
その後、公正取引委員会委員に就任[1][2][8]。1950年(昭和25年)新潟鐵工所社長に就任し、1964年(昭和39年)同会長、1966(昭和41年)に同相談役を歴任し、同顧問となる[1][6]。その間、新潟コンバーター社長、新潟ウオシントン社長、新潟ジンプロ社長なども務めた[1]。
1982年2月、肺炎のため渋谷区のセントラル病院で死去した[6]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『20世紀日本人名事典 あ-せ』日外アソシエーツ、2004年。
- 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『現代物故者事典 1980〜1982』日外アソシエーツ、1983年。
- 野田豊『日本の経営者 第2集』野田経済社、1960年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 東京篇』帝国秘密探偵社、1942年。