倉上慶大
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倉上 慶大 (くらかみ けいた) | |
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生誕 |
1985年12月14日 群馬県 |
死没 |
2024年6月26日 (38歳没) 富士山 |
死因 | 運動誘発型の冠攣縮性狭心症による致死性不整脈 |
国籍 | 日本 |
教育 | 新潟大学 |
職業 | プロクライマー |
著名な実績 | 千日の瑠璃(5.14a R/X)開拓初登(2015年) |
公式サイト |
keitakurakami |
倉上 慶大(くらかみ けいた、1985年12月14日 - 2024年6月26日)は、日本のフリークライマー[1]。
概要
[編集]高校山岳部でクライミングに出会い、大学進学を機に移り住んだ新潟でボルダリングにのめり込む[1]。2012-13年頃は京都に住み京都大学のクライミングウォール(京大wall)でトレーニングし[1]、京都笠置のシンクラックプロジェクトを初登した[2]。2013-16年頃はハイボールをノーマットグラウンドアップで登ることに傾倒し[1]、2015年以降は、トラッドルートやマルチピッチルートの開拓など活動範囲を広げた[3][4]。
2021年11月マウンテンバイク乗車中に意識を消失し救急隊によるAEDで蘇生され、その後運動誘発型の冠攣縮性狭心症と診断された[5]。2024年6月富士山登山中に意識を消失し、その後救急搬送された病院で死亡が確認された[1]。同年9月、クライミング専門誌『ROCK & SNOW』で12ページもの追悼記事が組まれた[1]。
クライミング歴
[編集]- 2012年11月 京都笠置 ReBirth(四/五段)初登[2]
- 2014年11月 黒本全課題完登
- 2015年10月 瑞牆山千日の瑠璃(5.14a R/X)開拓初登[3]
- 2017年4月 湯川 燈明(5.13a/14a R)初登[4]
- 2018年4月 瑞牆山沈黙の春(A4)開拓初登 [6]
- 2018年11月 ヨセミテエルキャピタン ノーズ 単独オールフリー[7]
- 2020年10月 小川山 Pass it on(5.14+ R)初登[8]。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f 「追悼 倉上慶大 1985-2024」『ROCK & SNOW』、山と溪谷社、2024年9月、16-27頁。
- ^ a b 『ROCK & SNOW』59号、山と溪谷社、2013年3月。
- ^ a b 『ROCK & SNOW』70号、山と溪谷社、2015年12月。
- ^ a b 『ROCKCLIMBING』3号、株式会社船橋ロッキー、2017年7月。
- ^ “「突然、心臓が20分間止まって…」世界的クライマー・倉上慶大35歳が死にかけた朝「気づいたら救急車」命かクライミングか…医師とのバトル ”. Sports Graphic Number/文藝春秋. (2022年12月31日) 2024年9月7日閲覧。
- ^ 『ROCKCLIMBING』8号、株式会社船橋ロッキー、2018年7月。
- ^ 『ROCK & SNOW』83号、山と溪谷社、2019年3月。
- ^ 『ROCK & SNOW』91号、山と溪谷社、2021年3月。