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信達神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
信達神社
所在地 大阪府泉南市信達金熊寺7951
位置 北緯34度20分21.9秒 東経135度17分17.0秒 / 北緯34.339417度 東経135.288056度 / 34.339417; 135.288056 (信達神社)座標: 北緯34度20分21.9秒 東経135度17分17.0秒 / 北緯34.339417度 東経135.288056度 / 34.339417; 135.288056 (信達神社)
主祭神 神倭磐毘古命
金山彦命
伊邪那美命
社格村社
本殿の様式 五間社流造
別名 金熊寺権現
金熊寺大権現宮
地図
信達神社の位置(大阪府内)
信達神社
信達神社
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信達神社(しんだちじんじゃ)は、大阪府泉南市信達金熊寺[1]にある神社。旧社格村社。隣接する金熊寺とともに大阪みどりの百選に選定されている[2]

祭神

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歴史

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樽井の海岸に神武天皇の像が漂着し、それを里人が引き上げて樽井の地に祀ったのが起源とされる。

天武天皇10年(682年)に、役行者が夢のお告げによって土中より金銅仏を得、自らも木仏を彫り上げて堂を建立して像をそこに安置した。その際、役行者はその堂の北側にあった当社に金峯熊野の両神を勧請し建立した堂の鎮守社とすると、その堂の名称を当社の祭神にちなんで金熊寺としたという。以降、当社は神仏習合もあって金熊寺大権現宮と呼ばれるようになった。

天正5年(1577年)に織田信長による雑賀攻めの兵火に遭って社殿は焼失したが、この地の豪族で当社の神主であった矢野和泉守家次の尽力により、正保4年(1647年)に本殿が再建されている。

1868年明治元年)の神仏分離により当社は金熊寺から独立し、名称を信達神社と改め[3][4]、後に村社に列せられている。

境内

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  • 本殿 - 正保4年(1647年)再建。
  • 中門
  • 拝殿(割拝殿)
  • 社務所
  • 五瀬命傷洗いの池 - 神武天皇東遷の際に長髄彦と戦って傷を負った天皇の兄・五瀬命がこの池で傷を洗ったと伝わる。

摂・末社

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文化財

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大阪府指定天然記念物

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  • 信達神社のナギ - 樹高は19.5m、幹周り2.5m、根の周り2.9m[5]。大阪府下最大のナギ。
  • 信達神社のオガタマノキ - 樹高は約18m、幹周り約3m

脚注

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  1. ^ 東信達村金熊寺、泉南郡信達町金熊寺
  2. ^ 大阪みどりの百選”. 大阪府. 2019年7月27日閲覧。
  3. ^ 信達神社の概要”. 2019年7月6日閲覧。
  4. ^ 信達神社(和泉市)”. 大阪再発見!. 2019年7月6日閲覧。
  5. ^ 大阪府指定天然記念物信達神社のナギ”. 大阪府. 2019年7月6日閲覧。

外部リンク

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