信近春城
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信近 春城(のぶちか しゅんじょう、1885年〈明治18年〉‐1910年〈明治43年〉2月5日)は明治時代の日本画家[1]。
略歴
[編集]1885年に岡山県に生まれる。始め大阪の日本画家の深田直城に入門し、14歳で後素会主催の第2回絵画共進会に出品する。後に菊池芳文、橋本雅邦に師事した。歴史画を得意としており、各種の絵画共進会や内国勧業博覧会において活躍している。
主な作品
[編集]1903年(明治36年)の第5回内国勧業博覧会で『傾城傾国美』が3等賞を獲得、二葉会第3回展覧会に『清楚』[2](1905年)、1906年は同展第4回『酔李白』(2等賞一席)[3]と真美会第5回展覧会に『宵月』を出品(銀牌受賞)[4]、1907年(明治40年)に国画玉成会の結成に参加する。また、同年の第1回文展に『釈迦に頻王』を出品、3等賞を獲得した[5][6]。
1910年2月5日、享年26で死去[7]。
出典
[編集]- ^ 20世紀日本人名事典. “信近 春城(ノブチカ シュンジョウ)とは - コトバンク”. コトバンク. 2018年11月17日閲覧。
- ^ “信近春城『清楚』二葉会第三回展覧会 新作品("PURITY" by Shunjo Nobuchika); Works of Living Artists, The 3rd Exhibition of “Futaba-Kwai (Association)”) )”. 美術画報 16 (8): 9. (1905年1月20日) 2019年7月16日閲覧。.
- ^ “信近春城『酔李白』、二葉会第四回展覧会新作品2等賞一席("RIHAKU, DRUNKEN" by Shunjō Nobuchika, Works of Living Artists, The 4th Exhibition of Futaba-kwai)”. 美術画報 17 (7): 2, 9. (1905年7月5日).
- ^ “信近春城『宵月』真美会第五回展覧会 新作品・銀牌 ("EVENING MOON" by Shunjō Nobuchika, Silver medal; Works of Living Artists, The 5th Exhibition of Shimbikwai)” (https://www.tobunken.go.jp/materials/gahou/211127.html).+美術画報 19 (8): 2, 7. (1906年7月20日).
- ^ “文部省美術展覧會受賞品集”. 美術画報. 美術畫報. 臨時増刊 (畫報社) 22 (7): 13. (1907年12月10日). NCID BN14638412 2019年7月16日閲覧。.
- ^ “信近春城 釈迦に頻王 :”. 東文研アーカイブデータベース. 2019年7月16日閲覧。
- ^ 日本人名大辞典+Plus, デジタル版. “信近春城(のぶちか しゅんじょう)とは - コトバンク”. コトバンク. 2018年11月17日閲覧。
参考文献
[編集]- 上田正昭他編 『講談社日本人名大辞典』 講談社、2001年
関連文献
[編集]- 「現今皇国各派」『古今名家改正南画一覧』、大国有誠 (編輯)、京都:江南金治郎(有美堂)、1902年(明治35年)。5-A
- 「近代国画各派名家」『大日本絵画著名大見立』、仙田半助 (編輯)、1902年(明治35年)。2-A
- 「信近春城」『日本書画名覧』、樋口傳 (編輯)、東京:書画骨董雑誌社、1908年(明治41年)。3-D
外部リンク
[編集]- 日本人名大辞典+Plus, デジタル版. “信近春城 (のぶちか しゅんじょう)とは - コトバンク
- 書画家人名データベース(明治大正期書画家番付による) - 東京文化財研究所