信州観光ホテル
信州観光ホテル(しんしゅうかんこうホテル)は、かつて長野県千曲市上山田温泉に存在したホテル。1997年(平成9年)に破産した後、建物は廃墟となっていたが、2022年(令和4年)頃に解体が完了した。
歴史
[編集]戦後、上山田温泉は1949年(昭和24年)の善光寺御開帳と平和博覧会が長野県で開催されたことがきっかけとなり発展[1]。
信州観光ホテルは、善光寺参りの湯治客を目当てに1951年(昭和26年)に創業した[1]。ささやかな木造3階建てからのスタートだったが[1]、活気づいていく町とともに、また高度経済成長期の波にも乗り、増改築を繰り返し、400人収容の客室、350人収容の宴会場、コンベンションホールなどを整備するに至った[1]。
ホテルの経営はバブル経済が始まった頃の1986年(昭和61年)4月期にピークを迎え[1]、年間売上9億2800万円を計上した[1]。しかし、ピーク後の売上は横這いとなり、1992年(平成4年)に、売上曲線はついに下を向き始めた[1]。加えて、増築のための多額の借入金が経営を圧迫し始め、毎年5000万円を超える赤字を出して債務超過に転落した[1]。
1996年(平成8年)、信州観光ホテルは、負債総額16億5000万円で長野地方裁判所に商法整理を申請、計5000人を超す予約キャンセルが殺到した[1]。裁判所監督の下で細々と営業を続けながら再建を図る予定だったが、再建計画は頓挫した[1]。1997年(平成9年)8月、長野地裁は信州観光ホテルに対して破産を宣告し、同日内に営業が停止し[1]、33人の正社員と21人のパートも即日解雇となった[1]。
その後信州観光ホテルは取り壊しに莫大な費用がかかることや、山が崩れる可能性などリスクは高く、買い手が現れることなく廃墟の姿をさらし続けた[2]。旧信州観光ホテル跡地は、2011年(平成23年)から2013年(平成25年)にかけて長野県滞納整理機構へ移管され、公売にかけられたが入札者はなく推移していた[3]。2018年(平成30年)3月、群馬県の業者が土地、建物を取得した[3]。 2022年現在、建物の基礎部分を残した状態で解体されている。
その他
[編集]所在地は千曲市上山田温泉1丁目。戸倉温泉街の山の中腹にある[4]。2014年出版『消えゆく日本の廃墟 廃墟が語る日本の裏歴史』によると、信州観光ホテルは「増築の末の迷路化もここに極まれり!」といった感のある内部が凄まじい立体迷宮路となったホテルであるという[1]。
廃墟探訪という点から言うと「非常に魅力的な迷宮物件」と評されていた[2]。2007年出版『ニッポンの廃墟』の「廃墟格付けランキング BEST100」によると、信州観光ホテルは東日本で第22位である。