信原聖
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信原 聖(のぶはら さとる、1900年〈明治33年〉10月26日[1] - 没年不明)は、昭和時代前期の朝鮮総督府官僚。平安北道知事。慶尚南道知事。
経歴
[編集]信原岩虎の長男として岡山県に生まれる[2]。1924年(大正13年)東京帝国大学法学部独法科を卒業し、朝鮮総督府に奉職する[2]。専売局事業課長、全羅南道、全羅北道各内務部長、総督官房文書国勢調査各課長、国民総力課長兼殖産局勤務を経て、1943年(昭和18年)7月、平安北道知事に就任した[2]。1945年(昭和20年)3月、慶尚南道知事に転じた[3]。
戦後は家庭調停委員を務めた[1]。
親族
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c 人事興信所 1969, の54頁.
- ^ a b c 帝国秘密探偵社 1943, 朝鮮80頁.
- ^ 『大蔵書記官兼大蔵省監督官侯爵伊達宗彰外十四名任免並官等陞叙ノ件○朝鮮総督府平安北道知事信原聖外二名任免、運輸通信技師山田三郎外八名任免並官等陞叙』 - 国立公文書館デジタルアーカイブ、昭和20年3月28日。
参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社 編『大衆人事録 第14版 外地・満支・海外篇』帝国秘密探偵社、1943年 。
- 人事興信所 編『人事興信録 第25版 下』人事興信所、1969年 。