保木公利
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保木 公利(ほき きんとし、元和5年(1619年) - 元禄6年6月5日(1693年7月7日)[1])は江戸時代の旗本。通称は久米助、伊之助、伊左衛門。号は嶺雲[1]。
父は保木公富、母は家女と伝わる。公富の嫡男として誕生し、公富の死去に伴い慶安2年(1649年)12月14日に家督を継ぎ、御徒を務める[1]。
後に支配勘定を経て勘定となり[1]、御目見(旗本)に列する。延宝5年(1677年)5月4日に致仕し、元禄6年(1693年)6月5日に75歳で死去した[1]。法名は全叟。墓地は浅草の龍福院[1]。
子に保木公遠、内崎正治室がいる[1]。公遠の舅は元武田家臣の家柄諸星氏の出自の諸星同政。