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保木公利

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

保木 公利(ほき きんとし、元和5年(1619年) - 元禄6年6月5日1693年7月7日[1])は江戸時代旗本。通称は久米助、伊之助、伊左衛門。号は嶺雲[1]

父は保木公富、母は家女と伝わる。公富の嫡男として誕生し、公富の死去に伴い慶安2年(1649年)12月14日に家督を継ぎ、御徒を務める[1]

後に支配勘定を経て勘定となり[1]御目見(旗本)に列する。延宝5年(1677年)5月4日に致仕し、元禄6年(1693年)6月5日に75歳で死去した[1]。法名は全叟。墓地は浅草の龍福院[1]

子に保木公遠内崎正治室がいる[1]。公遠の舅は元武田家臣の家柄諸星氏の出自の諸星同政

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 寛政重修諸家譜 巻第千四百四十五