作間耕逸
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作間 耕逸(さくま こういつ、1880年(明治13年)5月15日[1] - 1951年(昭和26年)1月2日[2])は、日本の衆議院議員(憲政会)、貴族院勅選議員、弁護士。
経歴
[編集]山口県吉敷郡秋穂二島村(現在の山口市)に音羽清逸の三男として生まれ、作間家の養子となった[1]。東京郵便電信学校を卒業し、大阪逓信局に勤務した[1]。在職中に関西大学法律科に入学し、1902年(明治35年)に卒業した[1]。その後長崎逓信局で外国郵便課係長、監理課係長を務め、1906年(明治39年)に退職した[1]。同年、上京して日本大学高等専攻科に入学し、弁護士試験に合格した[1]。
1914年(大正3年)、東京市会議員に当選し、参事会員にも選出された。
1920年(大正9年)、第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第15回衆議院議員総選挙でも再選された。
その後は東京弁護士会常議員会議長、日本弁護士協会理事、東京弁護士会長を歴任した[3]。
戦後の1946年(昭和21年)6月8日には貴族院議員に勅選された[4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 『第一回乃至第二十回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1940年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。