作用 (哲学)
作用(ドイツ語: Akt)とは哲学においては、意識や心が何かを想像したり感じたりする時に、想像したりや感じたりした内容ではなく、想像したり感じたりする「意識の動き」もしくは「心の動き」そのものをさす。このため、意識作用や心的作用と呼ばれることもある。また、作用には「想起[1]」、「想像[2]」、「知覚[3]」、「判断[4]」、「欲求」の他いろいろなものが存在する[5]。
概要
[編集]作用は元来(ラテン語: actus、行為)が語源であるが、語源とは異なった意味で使われている。近代における認識論[6]では、認識は意識作用もしくは心的作用により、「ある事物」を介したり、「ある事物」そのものを対象[引用 1][7]として捉えることであると考えられている[5]。このように作用は「作用ー内容ー対象」という三項図式[8]の中に位置づけられて認識の意味と認識ができる範囲が、「作用」および「内容」および「対象」の関係がどのような関係になっているのかが認識論では問われることになった[5]。
作用の志向性
[編集]近代以降、哲学者であり心理学者でもあったブレンターノによって作用の志向性[引用 2][9]という新たな論点が打ち出された[10]。ブレンターノは心理学とは心的現象の学問であると位置づけたが[11]、この心的な現象というのは心の中にある内容では無く心の動きそれ自体が「作用」であり、「志向的(心的)内在(intentionale (mentale) Inexistenz)」、「内容への関係(Beziehung auf einen Inhalt)」、「対象への方向性(Richtung auf ein Objeckt)」、「内在的な対象性(immanente Gegenständlichkeit)」、「自分自身の内に(志向的に)対象を含む((intentional) einen Gegenstand in sich enthalten)」をそなえる「心的作用[引用 3][12]」である[13][14]。
フッサールにおける作用
[編集]ブレンターノのもとで学んだフッサールは心的な作用の志向性という論点については、ブレンターノの思想を継承したが、「内容」と「対象」に関するブレンターノの曖昧さを「意味[15]」という視点で整理し直した[16]。フッサールは作用について、志向的対象は存在論的な位置付けの遺憾に関係なく志向作用の対象であり、それだけの理由で現象学的意味での客観性(意味的客観性)を保有することが可能であるとしている[17]。 また、フッサールは作用はすべて性質と質料を保有しており、作用が事物に対して「感じる」、「判断する」、「表象する[18]」、「欲求する」といった多様な志向の処理方法が「作用性質」と定義され、一方で作用が「感じる」等の処理方法で対象に関係していく中で混沌とした感覚に意味を付与することが「志向的本質」とかんがえられた[19]。 作用の性質と質料という考え方は、「ノエシス」および「ノエマ」という対概念に受け継がれていった[5]。
引用
[編集]- ^ 対象(object):ギリシア語で「アンティケイメノン:反対側に置かれたもの」が語源。中世哲学では「心の中にあるもの」と考えられた。(山口裕之著『語源から哲学がわかる事典』279頁25行目〜26行目より引用)
- ^ 基本的意味 心の状態の持つ、<何かにかかわる>(aboutness)、あるいは<何かに向けられている>(directedness)という特徴。これは物理的なものには見られない特徴であり、心的なものと物理的なものとを区別する指標となる(「意図的」(intentional))という意味とは区別されなければならない)。(中畑正志著『志向性:現在状況と歴史的背景(一)』28頁3行目〜5行目より引用)
- ^ 心的現象=心的作用 心的現象はそれ自体が物的現象と並ぶような観察の対象ではなく、対象に対する意識に付随したかたちで知覚されるのであるから、両者はひとつの心的体験における二つの局面である。(中畑正志著『志向性:現在状況と歴史的背景(一)』40頁13行目〜14行目より引用)
脚注
[編集]- ^ 哲学思想辞典・岩波 1998, pp. 967–968.
- ^ 哲学辞典・平凡社 1971, p. 860.
- ^ 哲学思想辞典・岩波 1998, pp. 1052–1055.
- ^ 哲学辞典・平凡社 1971, pp. 1127–1128.
- ^ a b c d 哲学思想辞典・岩波 1998, p. 577.
- ^ 哲学思想辞典・岩波 1998, pp. 1242–1243.
- ^ 山口 2019, p. 279.
- ^ 滝紀夫 (2008年3月8日). “三項図式とは?”. 《ドイツ観念論のページ》. 滝紀夫. 2024年12月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年12月2日閲覧。
- ^ 中畑 2001, p. 2.
- ^ 中畑 2001, p. 28.
- ^ 中畑 2003, pp. 2–3.
- ^ 中畑 2001, p. 40.
- ^ 中畑 2001, pp. 41–42.
- ^ 哲学思想辞典・岩波 1998, pp. 622–623.
- ^ 哲学思想辞典・岩波 1998, pp. 96–98.
- ^ 次田 1998, p. 41.
- ^ 次田 1998, pp. 40–41.
- ^ 小学館. “表象(ひょうしょう)の類語・言い換え”. 小学館 類語例解辞典. 小学館. 2024年12月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年12月2日閲覧。
- ^ 福島 2008, p. 49.
参考文献
[編集]- 青井和夫、青柳真知子、赤司道夫、秋間実、秋元寿恵夫、秋山邦晴、秋田光輝、東洋 ほか 著、林達夫、野田又男; 久野収 ほか 編『哲学事典』(第1版)平凡社、1971年4月10日。ISBN 4-582-10001-5。
- 青木国夫、青木保、青野太潮、赤城昭三、赤堀庸子、赤松昭彦、秋月觀暎、浅野守信 ほか 著、廣松渉、子安宣邦; 三島憲一 ほか 編『岩波 哲学・思想辞典』(第1版)岩波書店、1998年3月18日。ISBN 4-00-080089-2。
- 次田憲和「志向性の論理」『哲学論叢』第22巻、京都大学哲学論叢刊行会、日本、1995年9月15日、36-48頁、hdl:http://hdl.handle.net/2433/24570、2024年12月2日閲覧。
- 中畑正志「志向性:現在状況と歴史的背景(一)」(PDF)『哲學研究』第572巻、京都哲学会、日本、2001年10月10日、25-59頁、doi:10.14989/JPS_572_25、hdl:http://hdl.handle.net/2433/273787、2024年12月2日閲覧。
- 中畑正志「志向性:現在状況と歴史的背景(二)」(PDF)『哲學研究』第575巻、京都哲学会、日本、2003年8月10日、1-27頁、doi:10.14989/JPS_575_1、hdl:http://hdl.handle.net/2433/273804、2024年12月2日閲覧。
- 福島裕介「フッサールにおける志向の充実化について」(PDF)『哲学論叢』第35巻、京都大学哲学論叢刊行会、日本、2008年、46-57頁、hdl:http://hdl.handle.net/2433/96282、2024年12月2日閲覧。
- 山口裕之『語源から哲学がわかる事典』(1版)日本実業出版社、2019年7月20日。ISBN 978-4-534-05707-5。