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佐野泉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

佐野 泉(さの いずみ、1944年7月12日[1] - 2016年7月10日)は、日本の実業家。東京都出身。ガンバ大阪代表取締役社長、元Jリーグ理事。

略歴

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麻布高等学校慶應義塾大学経済学部卒業[1]

1969年松下電器産業株式会社へ入社[1]。同社教育訓練センター中央社員研修所所長、人事開発センター経営研修所所長、本社秘書室室長などを経て、2002年4月ガンバ大阪へ出向、6月に乾勲の後任として同社代表取締役社長に就任した[1]

就任以降、天然芝練習場や選手寮を新設、スタジアムの改修を行うなどハード面の充実へ積極的に取り組み、常勝クラブの礎を築いた。また、海外移籍に対しては寛容であり、大黒将志宮本恒靖を海外へ送り出した。

2008年4月16日、任期満了にて代表取締役社長を退任。ガンバ大阪非常勤取締役に就任した[2]

2016年7月10日、癌のため死去[3]。71歳没。

エピソード

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  • ガンバ大阪初タイトル時(2005年・J1リーグ)の代表取締役社長であり、“社長オリジナルグッズ”が好評を博すなど、サポーターから愛された[4]
  • 夢は「外国籍選手に頼らず、なおかつ常勝チームになること。さらにその先にはイレブンすべてがガンバユース出身者となること。」と語っていた[5]

脚注

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  1. ^ a b c d 【追憶のあなたへ】G大阪「中興の祖」佐野泉さんに誓う播戸の決意 - ウェイバックマシン(2017年12月26日アーカイブ分) スポーツ報知
  2. ^ ガンバ大阪 役員人事について(08.04.01)』(プレスリリース)ガンバ大阪、2008年4月1日https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=000629142018年9月1日閲覧 
  3. ^ 元ガンバ大阪社長・佐野泉さん死去 71歳 - ウェイバックマシン(2016年10月3日アーカイブ分) 朝日新聞 2016年7月11日
  4. ^ G大阪初の社長グッズ! - ウェイバックマシン(2008年2月17日アーカイブ分) スポーツ報知(2008/02/15付)
  5. ^ クラブの決意が地域の心を動かす - ウェイバックマシン(2012年6月1日アーカイブ分) Jリーグ公式サイト J.LEAGUE NEWS PLUS vol.2(2008/04/28付)
先代
乾勲
ガンバ大阪社長
2002年-2008年
次代
金森喜久男