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佐賀市立諸富中学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
佐賀市立諸富中学校
地図北緯33度13分26.6秒 東経130度21分18.2秒 / 北緯33.224056度 東経130.355056度 / 33.224056; 130.355056座標: 北緯33度13分26.6秒 東経130度21分18.2秒 / 北緯33.224056度 東経130.355056度 / 33.224056; 130.355056
過去の名称 諸富町立諸富中学校
国公私立の別 公立学校
設置者 佐賀市
併合学校 諸富町立諸富北中学校
諸富町立諸富南中学校
設立年月日 1962年昭和37年)4月1日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード C141220100105 ウィキデータを編集
所在地 840-2104
佐賀県佐賀市大字徳富2058番地3
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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佐賀市立諸富中学校(さがしりつ もろどみちゅうがっこう)は佐賀県佐賀市諸富町大字徳富にある公立中学校

概要

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歴史
1947年昭和22年)創立の諸富町立中学校2校(諸富北・諸富南)が1962年(昭和37年)に統合。現校名になったのは2005年平成17年)。2022年令和4年)には創立(統合)60周年を迎えた。
校章
「中」の文字を図案化したものを背景にして、中央に校名の頭文字「諸」を配している。
校歌
1969年(昭和44年)制定。作詞は中原敏雄(第2代校長)、作曲は真島豹吉による。歌詞は3番まであり、各番の歌詞中に校名の「諸富中学校」が登場する。
通学区域
佐賀市諸富町全域。小学校区は佐賀市立諸富北小学校佐賀市立諸富南小学校[1]

沿革

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旧・諸富北中学校
  • 1947年(昭和22年)
  • 1948年(昭和23年)
    • 3月 - 村PTAが発足。
    • 3月31日 - 青年学校が廃止される。
    • 4月 - 校舎天井張りの費用を捻出するため、養を開始。
    • 12月 - 新校舎(西教室)が完成。
  • 1951年(昭和26年)9月 - 兎を供出し、天井張りの費用を精算。
  • 1952年(昭和27年)3月 - 小中兼用運動場を拡張。
  • 1953年(昭和28年)
    • 4月 - 帽章・バッジを制定。
    • 6月26日 - 連続豪雨のため、校舎が床上浸水。7月1日まで臨時休業とする。
  • 1954年(昭和29年)
    • 2月 - 新校舎(3教室)が完成。
    • 6月 - 学校放送を開始。
  • 1955年(昭和30年)
    • 3月1日 - 2村(東川副・新北)合併により、「諸富町立諸富北中学校」に改称。
    • 9月 - 校歌を制定(作詞:古賀残星、作曲:江口芳雄、歌詞は3番まであり、各番の歌詞中に校名の「諸富北中」が登場)。帽章・バッジを制定。
  • 1959年(昭和34年)10月 - 諸富町南北中学校合同体育大会を開催。
  • 1962年(昭和37年)3月31日 - 統合のため閉校。ただし統合校舎が完成するまでの間、「北校舎」として存続。
    • 校章 - 旧・肥前太田城主、太田氏の家紋を基にして、中央に校名の略称「北中」の文字(縦書き)を配している。
旧・諸富南中学校
  • 1947年(昭和22年)
    • 4月1日 - 学制改革が行われる。
      • 新北村国民学校の初等科は、新制小学校「新北村立新北小学校」に改組・改称。
      • 新北村国民学校の高等科は、青年学校普通科とともに、新制中学校新北村立新北中学校」に改組・改称。小学校に併設される。
    • 5月3日 - 開校式を挙行。
  • 1948年(昭和23年)
    • 3月31日 - 青年学校が廃止される。
    • この年 - 元講堂広間を3教室に区切り、教室を整備。
    • 5月 - PTAを結成。
  • 1949年(昭和24年)6月 - 校舎1棟(3教室)が完成。
  • 1953年(昭和28年)
    • 9月 - 6月の大水害の際、搦地区の救済に寄与したため、佐賀郡消防協会より表彰を受ける。
    • 11月 - 小中共用の講堂が完成。
  • 1955年(昭和30年)
    • 3月1日 - 2村(東川副・新北)合併により、「諸富町立諸富南中学校」に改称。
    • 12月 - 学校図書館を拡充。
  • 1956年(昭和31年)9月 - 帽章・バッジを制定。
  • 1957年(昭和32年)5月 - 制服を制定。
  • 1958年(昭和33年)2月 - 校歌を制定(作詞:中島哀浪、作曲:陶山聡、歌詞は3番まであり、歌詞中に校名は登場しない)。
  • 1959年(昭和34年)10月 - 諸富町南北中学校合同体育大会を開催。
  • 1962年(昭和37年)3月31日 - 統合のため閉校。ただし統合校舎が完成するまでの間、「南校舎」として存続。
    • 校章 - 「中」の文字を図案化し、リボンで結んだ稲穂と組み合わせたものを背景にして、中央に校名の略称「諸南」の文字(縦書き)を配している。
統合・諸富中学校
  • 1962年(昭和37年)
    • 4月1日 - 上記中学校2校(諸富北・諸富南)の統合により、「諸富町立諸富中学校」が設置される。
    • 4月7日 - 開校式を挙行。統合校舎完成までの間、旧諸富北中を「北校舎」、旧諸富南中を「南校舎」として存続し、分散授業を継続。
    • 5月 - 旧中学校2校のPTAを統合。
  • 1963年(昭和38年)
    • 10月 - 鉄筋コンクリート造3階建ての新校舎(第1期工事)が完成。北校舎および南校舎を廃止の上、各小学校に移管。
    • 11月 - 入校式を挙行。統合校舎での授業を開始。
  • 1964年(昭和39年)6月 - 給食センターが完成し、完全給食を開始。
  • 1965年(昭和40年)3月 - 新校舎(第2期工事、特別教室)が完成。校旗を制定。
  • 1966年(昭和41年)4月 - 特殊学級を開設。
  • 1967年(昭和42年)3月 - 体育館が完成。
  • 1968年(昭和43年)7月 - 明治100年記念として校門を設置。
  • 1969年(昭和44年)9月 - 校歌を制定。
  • 1975年(昭和50年)11月 - 部室(5部屋)が完成。
  • 1977年(昭和52年)7月 - プールが完成。
  • 1978年(昭和53年)12月 - 武道館が完成。
  • 1981年(昭和56年)2月 - 校地を拡張。
  • 1983年(昭和58年)3月 - 創立20周年を記念して、PTAより記念碑「創造」が寄贈される。
  • 2005年(平成17年)10月1日 - 合併により、「佐賀市立諸富中学校」(現校名)に改称。

交通

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最寄りの鉄道駅
最寄りのバス停留所
最寄りの幹線道路

周辺

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  • 佐賀市役所 諸富支所
  • 諸富文化体育館ハートフル
  • 佐賀市南商工会本所
  • 佐賀市産業振興会館
  • 諸富地区社会福祉協議会
  • 諸富郵便局
  • 諸富公園
  • JAさが佐賀市もろどみ町支所
  • 佐賀江川
  • 筑後川

脚注

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  1. ^ 佐賀市立小・中学校通学区域一覧”. 佐賀市ウェブサイト. 佐賀市. 2024年8月25日閲覧。

参考資料

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  • 諸富町史 (PDF) 」(1984年(昭和59年3月30日, 諸富町)p.819~p.911 - 佐賀市ウェブサイト

関連事項

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外部リンク

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