佐賀市立小中一貫校三瀬校
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佐賀市立小中一貫校三瀬校 | |
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中学部正門 | |
北緯33度25分59.4秒 東経130度16分35.4秒 / 北緯33.433167度 東経130.276500度座標: 北緯33度25分59.4秒 東経130度16分35.4秒 / 北緯33.433167度 東経130.276500度 | |
過去の名称 |
三瀬村立三瀬小中学校 佐賀市立三瀬小中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 佐賀市 |
設立年月日 |
【小学校】 1876年(明治9年)1月1日 【中学校】 1947年(昭和22年)4月1日 【小中一貫校】 2013年(平成25年)4月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード |
C141220100187 中学校) B141220100330 (小学校) | (
所在地 | 〒842-0301 |
佐賀県佐賀市三瀬村三瀬2741番地2(小学部) 佐賀県佐賀市三瀬村三瀬2789番地(中学部) | |
外部リンク |
小学部 中学部 |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
佐賀市立小中一貫校三瀬校(さがしりつしょうちゅういっかんこう みつせこう)は、佐賀県佐賀市三瀬村三瀬にある市立の小中一貫校。
小学部と中学部の校舎は隣接している。
概要
[編集]- 小学部 - 中央に「小」の文字を配している。
- 中学部 - 1948年(昭和23年)制定。山本民三によるデザインで、中央に「中」の文字を配している。
- 上記とは別に、小中一貫校(小中共通)のシンボルマークがある。
- 校歌
- 小学部 - 作詞は米倉徳次、作曲は岡井隆一による。歌詞は3番まであり、各番の歌詞中に校名の「三瀬の小学校」が登場。
- 中学部 - 1953年(昭和28年)制定。作詞は服巻紫浪、作曲は陶山聡による。歌詞は3番まであり、各番の歌詞中に校名の「三瀬」が登場。
- 通学区域
- 佐賀市三瀬村全域[1]。
- 特色
- 中学部では、佐賀市の姉妹都市であるフランスのクサック村(キュサック=フォール=メドック)の中学生との間で、2年に1度の相互訪問による交流を行っている。三瀬村の時代に姉妹村となったことで交流が始まったもので、三瀬村立三瀬中学校だった1990年(平成2年)から行われている[2]。
沿革
[編集]- 三瀬小学校
- 1876年(明治9年)1月1日 - 以下の2校が創立。
- 1885年(明治18年) - 岸高に新校舎が完成。校名を「公立中等神在小学校」と称する。
- 1887年(明治19年)9月頃 - 小学校令施行により、尋常科(4年制)を設置の上、「尋常神在小学校」に改称。
- 1889年(明治22年)
- 1892年(明治25年)4月 - 「三瀬尋常小学校」に改称。
- 1905年(明治38年)4月 - 現在地に校舎(講堂兼教室1と普通教室2、合計3)を新築。
- 1906年(明治39年)4月 - 高等科(2年制)を併置の上、「三瀬尋常高等小学校」と改称(尋常科4年・高等科2年)。
- 1907年(明治40年)4月 - 藤原(柳瀬)、勝玉、小坂の3分教場を廃止。
- 1908年(明治41年)4月 - 改正小学校令により、尋常科(義務教育)が4年制から6年制に、高等科が4年制から2年制に改められる。旧高等科1年を尋常科5年、旧高等科2年を尋常科6年とする。高等科1年と高等科2年を新設。
- 1912年(大正元年) - 岸高の校舎を廃止。全児童を新校舎に収容。
- 1915年(大正4年)4月 - 木造茅葺き屋根の校舎(4教室)を増築。
- 1919年(大正8年)
- 1926年(大正15年)7月 - 併置の農業補習学校が青年訓練所充当三瀬公民学校に改称。
- 1927年(昭和2年)12月 - 木造セメント瓦葺き屋根の校舎(3教室)を増築。
- 1935年(昭和10年)6月 - 青年学校令施行により、併置の公民学校が三瀬農業青年学校に改称。
- 1937年(昭和12年)9月 - 講堂を改築。
- 1939年(昭和14年)- 校歌を制定。
- 1941年(昭和16年)4月 - 国民学校令施行により、「三瀬村国民学校」と改称。尋常科を初等科に改める(初等科6年・高等科2年)。
- 1943年(昭和18年)3月 - 藤原地区の要請により、藤原分校が復活。
- 1946年(昭和21年)- 校舎を増築。
- 1947年(昭和22年)4月 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
- 国民学校初等科が、新制小学校「三瀬村立三瀬小学校」(6年制)に改組・改称。
- 国民学校高等科は、青年学校普通科とともに、新制中学校「三瀬村立三瀬中学校」に改組・改称。小学校に併置される。
- 1956年(昭和31年)5月 - 管理棟・教室棟が完成。運動場を整備。
- 1959年(昭和34年)3月 - 新校舎(第二期工事)が完成。
- 1966年(昭和41年)3月 - 給食センターの完成により、完全給食を開始。
- 1959年(昭和34年)度 - 在籍児童数が581名(分校も含む)で最大となる(ピーク)。
- 1971年(昭和46年)2月 - 小中共用の体育館が完成。
- 1993年(平成5年)3月 - 新校舎が完成し、移転を完了。
- 1999年(平成11年)3月 - 村民プールが完成。
- 2004年(平成16年)4月 - 藤原分校を休校とする。特殊学級を開設。
- 2005年(平成17年)
- 3月31日 - 藤原分校を廃止。最終所在地 - 佐賀市三瀬村藤原941番地(北緯33度26分00.2秒 東経130度18分30.4秒 / 北緯33.433389度 東経130.308444度)
- 7月 - 藤原分校校舎を解体。
- 10月1日 - 佐賀市への合併により、「佐賀市立三瀬小学校」と改称。藤原分校閉校。
- 三瀬中学校
この節の加筆が望まれています。 |
- 1947年(昭和22年)
- 4月1日 - 学制改革が行われ、国民学校高等科(2年制)が青年学校普通科とともに、新制中学校「三瀬村立三瀬中学校」(3年制)に改組・改称。
- 5月3日 - 開校式を挙行。小学校校舎に併置され、小学校の講堂および教室を使用。
- 9月 - 後援会が発足。
- 1948年(昭和23年)
- 3月31日 - 青年学校が廃止される。
- 9月 - 校章を制定(デザインは山本民三による)。新校舎敷地を造成。
- 1949年(昭和24年)
- 3月 - 新校舎一部(木造平屋建て第1棟)が完成し、3年生がまず移転を完了。
- 4月 - 中学校後援会を三瀬村育友会(小中合同)に改める。校旗を制定。
- 10月 - 新校舎がすべて完成し、1・2年生も移転を完了。小学校との併設を解消。
- 1953年(昭和28年)
- 5月 - 収農舎と付属畜産舎が完成。佐賀県立神埼農業高等学校 脊振分校 三瀬補習科が併置される。
- この年 - 校歌を制定。
- 1954年(昭和29年)4月 - 併置の脊振分校三瀬補習科が三脊分校に改称。
- 1963年(昭和38年)度 - 在籍生徒数が312名で最大となる(ピーク)。
- 1966年(昭和41年)
- 2月 - 給食センターが完成。
- 3月 - 完全給食を開始。
- 1971年(昭和46年)2月 - 小中共用の体育館が完成。
- 実施年不明 - 新校舎が完成。
- 2005年(平成17年) - 佐賀市との合併により、「佐賀市立三瀬中学校」と改称。
- 小中一貫校
- 2013年(平成25年)4月1日 - 佐賀市立三瀬小学校と三瀬中学校を統合の上、「佐賀市立小中一貫校三瀬校」(現校名)が開校。
- 小学校を「小学部」、中学校を「中学部」とする。
交通
[編集]- 最寄りのバス停留所
- 三瀬地区コミュニティバス[5] 村内東なるせ・たかせ号、村内西はつせ号「三瀬校小学部」停留所
- 最寄りの幹線道路
周辺
[編集]- 三瀬学校給食センター
- 佐賀市役所 三瀬支所(旧・三瀬村役場)
- 佐賀市立三瀬公民館
- 佐賀市三瀬勤労福祉センター・三瀬グラウンド
- 三瀬保育園
- 三瀬郵便局
- JAさが三瀬出張所
脚注
[編集]- ^ “佐賀市立小・中学校通学区域一覧”. 佐賀市ウェブサイト. 佐賀市. 2024年8月25日閲覧。
- ^ “佐賀市の姉妹都市・友好都市 クサック村(フランス・ジロンド県)”. 佐賀市役所 (2020年10月8日). 2024年5月6日閲覧。
- ^ 「杠山」の読みは「ゆずりはやま」
- ^ 現在は北山ダムの湖底に沈んでいる。
- ^ 三瀬地区の公共交通 - 佐賀市ウェブサイト