佐賀の恵比須
本稿では佐賀の恵比須(さがのえびす)について解説する。
恵比須について
[編集]えびすは日本古来の神で、七福神の一柱。恵比寿、恵美須、戎、エビスなどの表記がある。 詳細は「えびす」を参照。
佐賀市内の恵比須像は商売繁盛を願う人によってつくられたことから、商家が並び宿場町があった長崎街道の道筋や、本庄川・佐賀江・城原川に面したかつての船つき場があった旧佐賀市内地区に特に多い[1]。
なお信仰目的としては商売繁盛を願うものが割合として多いが、他に交通安全や小便よけなど多様である[2]。
佐賀市内にあるもので記年が最も古い恵比須像は北川副町角町にある1669(寛文9)年の文字恵比須である[1]。この文字恵比須像は二代目佐賀藩主の鍋島光茂公が建立したと伝えられている[3]。
文字恵比須とは、恵比須様の彫刻ではなく、「西宮」などの文字が彫り込んである。
なぜ佐賀市に恵比須が多いのか
[編集]所説有り、次のような説が紹介されている[4]。
- 初代鍋島藩藩主勝茂公が摂州・西宮の戎神社より分霊し、佐賀市北川副の西宮社に祀ったことから、佐賀城下の商家を中心に広がった[5]。
- 文字恵比須像を二代目佐賀藩主の鍋島光茂公が建立したと伝えられており、そこから住民に伝わった。
- 長崎街道に多いため、旅の安全祈願のいために建立された。
- 佐賀市南部にも多く、「海の神」とも言われことから、有明海の豊漁祈願と水難事故防止のために建立された。
いろいろな日本一を認定・掲載する日本記録のサイト「日本一ネット」により、2011年(平成23年)に認定された[6][4]。
2011年(平成23年)年時点で、佐賀市内には820体以上の恵比須像が存在しているといわれている[4]。
主な祭礼
[編集]佐賀市の与賀神社境内にある佐賀恵比須神社で、毎年1月に「十日恵比須大祭」が催行されている[7]。一般の商家では、正月と10月20日にえびす講を行っている。佐賀市の材木町のえびす祭では、恵比須像の両側に笹を立て、しめ縄を飾り、神主が祝詞をあげている[8]。
さまざまな恵比須
[編集]- 旅立ち恵比須(佐賀市駅前中央1丁目)
- ハンサムえびす(佐賀市白山1丁目4-35)
- 文字えびす
- ゆめこいえびす(佐賀市中央本町8-10)
- 大福帳えびす(佐賀市中央本町3-22)
- 女えびす(佐賀市白山2丁目7-1)
- 夫婦えびす(佐賀市材木1丁目2)
- 左利きの恵比須(佐賀市松原4丁目通り小路)
- 鯛負いえびす(佐賀市伊勢町3-8)
保存会などの団体 まちおこし活動
[編集]恵比須DEまちづくりネットワークは、観光客の恵比須ガイドツアーや、恵比須関連イベントの開催等、えびすさんを広めるPR活動を行っており[11]、同団体は四国巡礼の八十八カ所にちなんで、中心市街地や空港などから八十八カ所を選定している[4]。
出典
[編集]- ^ a b 佐賀県の歴史散歩編集委員会 編『佐賀県の歴史散歩』株式会社山川出版社、1995ー4-8、58頁。
- ^ 『佐賀のエビス』佐賀市教育委員会、1978年12月10日、60頁。
- ^ 佐賀よかとこ会 編『新えびすさん 佐賀城下えびすめぐり』株式会社ぷらざ、2006年11月1日、3頁。
- ^ a b c d “えびすさんが見守るSAGA CITY | 特集”. ディープな佐賀の情報を発信するSAGA MAGA (サガマガ). 2024年11月23日閲覧。
- ^ 『佐賀ん町のえびすさん』恵比須DEまちづくりネットワーク、2016‐3、10頁。
- ^ “恵比須の数日本一”. 2024年11月23日閲覧。
- ^ “「佐賀んまちの恵比須さん」〜江戸時代よりつづく恵比須文化の継続と発展の可能性〜”. 京都芸術大学. 2024年11月23日閲覧。
- ^ 佐賀市史編さん委員会『佐賀市史第二巻』佐賀市、1977年7月、531頁。
- ^ 佐賀よかとこ会 編『新えびすさん 佐賀城下えびすめぐり』株式会社ぷらざ、2006年11月1日。
- ^ 『佐賀ん町のえびすさん』恵比須DEまちづくりネットワーク、2016年。
- ^ “恵比須DEまちづくりネットワークについて”. 恵比須DEまちづくりネットワーク. 2024年11月23日閲覧。