佐藤雄一 (俳優・演出家)
表示
概要
[編集]東京俳優生活協同組合付属俳優養成所に入所し、同期には中田博之、金井節などがいた。卒業後、そこの演劇講師であった手塚敏夫の主宰する劇舎―燐(しばいや―りん)に入団。先輩には青柳文太郎、伊倉一恵、本多知恵子が在籍していた。燐解散後、そこのメンバーであった中村淳之介が旗揚げした劇団冒険団に参加。
その後、旅公演を主とする劇団を転々とし、客演活動を続けていたが「自分が本当にやりたい芝居」を目指していないことに気づき、旅生活にピリオドを打つ。俳優養成機関スタジオCAN(すたじおきゃん)を設立し、そこのメンバーを中心に劇団CANプロを旗揚げした。
出演作品
[編集]テレビ
[編集]- TBSニュースの森再現VTR
ラジオCM
[編集]舞台
[編集]- 外は陽炎つむじ風(1984年、劇舎―燐)‐ 農民、町民、侍役
- うちゅうじん(1985年、劇舎―燐)‐ 男2役
- 黄昏の街から(1985年、劇団統一劇場)‐ 源三役か
- ピアニストとカラス(1986年、劇団希望舞台)‐ 炭鉱夫役
- 星のかなたに(1986年、劇団冒険団旗揚げ公演)‐ 早乙女役
- 二十一世紀のタイムトラベラー(1986年、劇団冒険団)‐ 博士役
- あした天気になれ(1987年、劇団希望舞台)‐ 北爪常次役
- ムラは三・三・七拍子(1988年、劇団ふるさときゃらばん)‐ 若目田祐一役
- 天までとどけ(1992年、劇団希望舞台)‐ 専務役(93年から研二役)
- 青い空が見えるまで(1994年、劇団希望舞台)‐ 時兼明雄役
- 男のロマン女のフマン(1995年、劇団ふるさときゃらばん)‐ 村の助役役
- パパは家族の用心棒(1996年、劇団ふるさときゃらばん)‐ 幸次郎役
- OH!マイSUN社員(1997年、劇団ふるさときゃらばん)‐ 横田部長役
舞台演出
[編集]※注記のないものはすべてCANプロ
- 1997年
- 東京物語(グッドフェローズプロデュース)
- 2002年
- カレッジ・オブ・ザ・ウィンド
- 2003年
- 絢爛とか爛漫とか
- テイク・ザ・マネー・アンド・ラン
- 2004年
- 父帰る
- 淡雪の頃
- マクベスの妻と呼ばれた女
- 2005年
- マクベスの妻と呼ばれた女(京王それいゆPREZNTES)
- 雨も僕もきっと…
- 煙が目にしみる
- 2006年
- 夏色の風
- 日曜ナビがオルガンを弾いた
- 2007年
- ジュリエットたち
- 見よ、飛行機の高く飛べるを
- 2008年
- 夫婦レコード
- 時の物置
- 2009年
- ひなあられ
- 春立ちぬ
- 2010年
- 永遠の夏休み
- マクベスの妻と呼ばれた女(再演)
- 2011年
- 箱のお家
- 石に願いを
- 2012年
- 傘をなくして~RECEPTACLE~
- 弟帰る
- 2013年
- 僕らが歌をうたう時
- 椿荘の四季
- 2014年
- 橋を渡ったら泣け
- 2015年
- 虹色の伝説
- 田中さんの青空
- 2016年
- 禁忌なるノベリスト
- 変な女の恋
- 2017年
- 記憶パズル
- シングルマザーズ
- 2018年
- 母の法廷
- まほろば
- 2019年
- 魔女の夜
- 神様がくれた贈り物
- リンゴトナイフ
- 2021年
- お月さまの悪戯
- とんでもない女
- 2022年
- 新・楽屋
- 三通の遺書
アクティングメソード
[編集]- 1998年
- ベーシックアクティングワークショップ sutdio CAN
- 1999年
- スタジオCAN設立
- 2006年・2019年
- 日本サッカー協会レフリングアカデミー(アクティングワークショップ)
講演
[編集]- 2016年
- 日本サッカー協会第二回JAFフットボールカンファンレンス2016「その気にさせる」