佐藤輝 (演出家)
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さとう てる 佐藤 輝 | |
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生誕 |
1948年??月??日 日本 |
職業 | 演出家、ディレクター、映像作家 |
佐藤 輝(さとう てる、1948年[1] - )は、日本の演出家・ディレクター、映像作家。英語でのクレジット表記は「TELL SATO」。
略歴
[編集]TBSにADとして就いて放送業界に入る。TBSでは報道、教養のセクションでADを務め、初めてADとして就いた番組は『土曜パートナー』[1]。その後1970年2月、21歳の時に萩元晴彦、村木良彦、今野勉らと共にテレビマンユニオンの創設に参加[1]、同年、テレビ番組初演出を務める[1]。1974年にテレビマンユニオンを退社、制作会社「テル・ディレクターズ・ファミリィ」を設立。1975年制作のキャロルの解散ライブの中継録画番組『グッドバイ・キャロル』(TBS)を皮切りに、ミュージシャンの映像作品を多数演出するようになり、矢沢永吉と最も多く関わった他、矢沢と松任谷由実(海岸で対談)、美空ひばりと岡林信康、沢田研二と萩原健一(地下鉄で移動し、新宿ゴールデン街のバーで飲みながら対談)とがそれぞれ共演した番組を制作した[1]。
1980年代以降はこの他にもHOUND DOG、尾崎豊らの映像作品制作にも関わる[2]。東京アートディレクターズクラブ(ADC)最高賞、カンヌ国際広告映画祭特別賞、ギャラクシー賞特別賞など多数受賞。演出手法、映像感覚は独創的、挑戦的、前衛的と言われる[2][1]。
演出担当した番組・作品
[編集]テレビ
[編集]- ナイトUP(TBS)- 1970年10月〜1972年3月[1]
- 私がつくった番組 マイテレビジョン(東京12チャンネル)- 1972年5月〜1973年3月[1]
- 遠くへ行きたい(読売テレビ)[1]
- 日曜スペシャル『美空ひばり〜大衆のアイドル〜』(日本テレビ)- 1974年4月14日放送[1]
- 青春★沢田研二 真夏のロックンロール(日本テレビ)- 1974年9月1日放送
- 日曜スペシャル『演歌って何だろう?』(日本テレビ)- 1975年12月21日、美空ひばりと岡林信康が共演[1]。
- グッドバイ・キャロル(TBS)- 1975年7月放送。キャロルの解散ライブの中継録画番組[1]。
- 私…(東京12チャンネル)- 1977年1月〜1978年3月[1]
- 日立サウンドブレイク(東京12チャンネル)
- BSスペシャル「もうひとつのヒーロー伝説〜映像作家・佐藤輝の世界 美空ひばりから尾崎豊まで」(NHK衛星第1テレビジョン)- 1994年12月5日〜12月9日放送、第32回ギャラクシー賞受賞作品[3]
- 金曜特集「沢田研二の獅子奮迅ワンマンショー 寒中御見舞」(NHK衛星第2テレビジョン)- 2001年2月2日放送
- 他
映画
[編集]- 2013年
- 2019年
- 『尾崎豊を探して』(監督)
CM
[編集]ビデオ
[編集]- 尾崎豊
- 『6 PIECES OF STORY』(1987年)
- 『LIVE CORE』[1](1989年)
- 『告白 (Confession)』(1995年)
- 『OZAKI・18』(1996年)
- 『OZAKI・19』(1997年)
- 『LAST TEENAGE APPEARANCE』(1997年)
- 『625 DAYS』(2005年)
- 『OZAKI FILM ALIVE AT ARIAKE COLOSSEUM IN 1987 THE TWENTY-FIRST SUMMER』(2006年)
- 『LIVE CORE 完全版〜YUTAKA OZAKI LIVE IN TOKYO DOME 1988・9・12』(2013年)
- 『10 PIECES OF STORY』(2018年)
- ウラニーノ
- 『音楽はあるか』[4]。
- 沢田研二
- 『ジュリー・プレゼンツ '80 BAD TUNING』(1980年)
- 『武道館コンサート ジュリーマニア』(1992年)
- 『人間60年・ジュリー祭り』(2009年)
- 『TRUE BLUE』(1988年PV)
- 他
舞台
[編集]- ロックンロールBAKA(内田裕也ロック生活15周年を記念してのライブイベント。第1回(1973年9月、中野サンプラザ、渋谷公会堂)、第2回(1974年12月)、第3回(1979年、日本武道館)と開催された)[1]