佐藤熊治郎
表示
佐藤 熊治郎 | |
---|---|
誕生 |
1873年1月7日 水沢県本吉郡津谷村(現・宮城県気仙沼市) |
死没 | 1948年9月7日(75歳没) |
職業 | 教育者、教育学者 |
国籍 | 日本 |
最終学歴 | 東京師範学校文科 |
代表作 |
『三大教育学説の約説と批判』(1920年) 『自発性の原理の展開』(1930年) 『教育学通論』(1937年) |
配偶者 | ゆき |
子供 | 可寿賀(長女・槌谷茂一郎妻)、生三(長男) |
親族 | 里子(生三妻・浅田重教長女) |
佐藤 熊治郎(さとう くまじろう、1873年(明治6年)1月7日 - 1948年(昭和23年)9月7日[1])は、日本の教育者。
経歴
[編集]宮城県出身。1901年(明治34年)、東京高等師範学校文科教育学部を卒業し、北海道師範学校教諭・附属小学校主事となった[2]。1906年(明治39年)、東京高等師範学校研究科を修了し、長野県師範学校教諭・主事に転じた[2]。
1911年(明治44年)、広島高等師範学校教授・附属小学校主事に就任[2]。1922年(大正11年)、教育学研究のためドイツ・イギリス・フランスに留学した[3]。1936年(昭和11年)、退官[3]。
著作
[編集]- 著書
- 『教育学』 小川正行、篠原助市共著、宝文館、1910年11月
- 『心理学』 小川正行、篠原助市共著、宝文館、1910年11月
- 『新撰 心理学』 小川正行、篠原助市共著、宝文館、1912年10月
- 『普通 心理学』 小川正行、篠原助市共著、宝文館、1913年1月
- 『輓近 心理学』 小川正行、篠原助市共著、宝文館、1922年
- 『論理学』 小川正行、篠原助市共著、宝文館、1910年11月
- 『新撰 論理学』 小川正行、篠原助市共著、宝文館、1912年10月
- 『輓近 論理学』 小川正行、篠原助市共著、宝文館、1922年
- 『近世教育史』 小川正行、篠原助市共著、宝文館、1910年11月
- 『新撰 近世教育史』 小川正行、篠原助市共著、宝文館、1912年10月
- 『輓近 近世教育史』 小川正行、篠原助市共著、宝文館、1922年
- 『小学校管理法』 小川正行、篠原助市共著、宝文館、1910年11月
- 『各科教授法』 小川正行、篠原助市共著、宝文館、1910年11月
- 『三大教育学説の約説と批判』 目黒書店、1920年11月
- 『教授方法の芸術的方面』 目黒書店、1921年11月
- 『教授方法の芸術的方面』 目黒書店、1930年10月
- 『文化と教育上の諸問題』 宝文館、1922年11月
- 『教育学概論』 宝文館、1923年1月
- 『現代 教育思潮批判』 目黒書店、1926年10月
- 『現代 教育思潮批判』増補版、目黒書店、1927年7月
- 『輓近教育学汎論』 宝文館、1927年12月
- 『自発性の原理の展開』 教育研究会、1930年3月
- 『自発性の原理の展開』 目黒書店、1930年5月 / 玉川大学出版部〈教育の名著〉、1977年4月
- 『近代女子教育学』 中島義一共著、育英書院、1930年9月
- 『味ひ方と考へ方の教育』 藤井書店〈精神科学叢書〉、1930年10月
- 『国民教育の中心問題』全5巻、育英書院、1932年2月其の一・其の二 / 目黒書店、1934年1月其の四 / 1934年2月其の三 / 1934年5月其の五
- 『科学的教育学の展望』 目黒書店、1936年1月
- 『各教科の自己法則性と教授の要諦総論』 東苑書房〈「各教科の自己法則性と教授の要諦」叢書〉、1936年1月
- 『修身教授の本質及実際』 堀之内恒夫共著、東苑書房〈「各教科の自己法則性と教授の要諦」叢書〉、1936年2月
- 『国語綴り方教授の本質及実際』 田上新吉共著、東苑書房〈「各教科の自己法則性と教授の要諦」叢書〉、1936年2月
- 『国史教授の本質及実際』 大久保馨共著、東苑書房〈「各教科の自己法則性と教授の要諦」叢書〉、1936年2月
- 『算術教授の本質及実際』 中野恭一共著、東苑書房〈「各教科の自己法則性と教授の要諦」叢書〉、1936年4月
- 『国語読み方教授の本質及実際』 佐藤徳一共著、東苑書房〈「各教科の自己法則性と教授の要諦」叢書〉、1936年9月
- 『現代教育学大系 原論篇第三巻 教育学通論』 成美堂書店、1937年6月
- 『国家総動員に直面しての 国民教育の理論的反省』 目黒書店、1938年1月
- 『国民教育の諸問題再検討』 目黒書店、1938年6月
- 『全体観と国民教育』 目黒書店、1939年6月
- 『教育者と価値哲学 人生と教育の根本問題』 目黒書店、1940年5月
- 『国民学校令の実施を迎へる用意』 成美堂書店、1940年7月
- 『昭和維新の国民教育と 二宮尊徳の報徳教並其の哲理』 目黒書店、1940年12月
脚注
[編集]- ^ 菊地勝之助『重訂 宮城県郷土史年表』宝文堂出版販売、1972年、529頁。
- ^ a b c 日本現代教育学大系 第11巻 pp.216-217 1928.
- ^ a b 人事興信録 1939.
参考文献
[編集]- 大日本学術協会編『日本現代教育学大系 第11巻』モナス、1928年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版(上)』人事興信所、1939年。
関連文献
[編集]- 「佐藤先生を送る」(『学校教育』第119号、宝文館、1929年5月)
- 『教育学会誌』第14号(佐藤熊治郎先生還暦記念号)、広島高等師範学校教育学会、1934年10月
- 「佐藤熊治郎先生を送る」(『教育学会誌』第17号、広島高等師範学校教育学会、1936年)
- 小原國芳 「佐藤熊治郎先生」(前掲 『自発性の原理の展開』 玉川大学出版部、1977年4月)
- 唐沢富太郎 「佐藤熊治郎 : 教育学者にして名主事」(唐沢富太郎編著 『図説 教育人物事典 : 日本教育史のなかの教育者群像 上巻』 ぎょうせい、1984年4月)
- 「「教育」における東京高等師範学校の人脈」(三好信浩著 『日本師範教育史の構造』 東洋館出版社、1991年2月、ISBN 4491008248)
公職 | ||
---|---|---|
先代 広瀬為四郎 |
広島高等師範学校附属小学校主事 1912年 - 1929年 |
次代 守内喜一郎 |