佐藤清右衛門
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佐藤 清右衛門(さとう せいえもん、1846年6月7日(弘化3年5月14日[1][2])- 1929年(昭和4年)2月5日[3])は、明治から昭和時代初期の政治家、実業家。徳清の9代目[4]、貴族院多額納税者議員。幼名は種次郎[4]。
経歴
[編集]盛岡出身[4]。佐藤徳次郎の長男として生まれる[1]。幼少期に小野組の銭店で丁稚奉公する[4]。1879年(明治12年)10月、祖父清右衛門から家督を相続した[1]。ほか、北上回漕会社、交話会、第九十国立銀行重役などを歴任した[4]。1896年(明治29年)には盛岡銀行の創立に参画し、岩手農工銀行の重役も務めた[4]。
1892年(明治25年)岩手県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年6月29日[5]から1897年(明治30年)9月28日まで在任[3]。原敬とも親交があり、有力な支援者の一人でもあった[4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 東洋新報社編『大正人名辞典 第3版』東洋新報社、1917年。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年 。
- 竹内理三ほか 編纂『岩手県姓氏歴史人物大辞典』角川日本姓氏歴史人物大辞典3、角川書店、1998年。ISBN 4040020308。
- 『岩手人名辞典』(財)新渡戸基金、2009年。