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佐藤忠次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

佐藤忠次郎(さとう ちゅうじろう、1887年1月11日 - 1944年)は、佐藤造機(三菱マヒンドラ農機)の創設者。島根県出雲郷村(現・松江市)出身[1]。  

人物

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  • 1887年1月11日島根県意宇郡出雲郷(あだかえ)村(現・松江市)で生まれる。
  • 自転車の車輪の回転が道端の稲穂を引っ掛けているのを発見し、高速に回転するものに稲穂を当てれば、効率よく稲穂が落ちるのではないかと考え、1914年大正3年)に回転式稲扱機の発明に成功。1917年(大正6年)には、中耕除草器の発明に成功。その後揖屋村(現・松江市)に「佐藤造機」を設立。
  • 揖屋村長に就任し、翌年に町制を誕生させ、10年間にわたり、揖屋町を支えた。また、県議会議員としても6年間県政に関わり、功績を残した。
  • 三菱マヒンドラ農機本社の公園内には、高さ1.3mの銅像がある。彫刻家安達貫一が作製し、1960年昭和35年)に建立された。
  • 佐藤忠次郎が暮らしていた家は、「佐藤忠次郎記念館」として、保存されている。

考案した主な農機具

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  • 回転式稲扱機
  • 中耕除草器
  • 動力脱穀機
  • 動力籾摺機

脚注

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関連項目

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